(私の「彼岸」)
(私の「彼岸」)
私の現在の「彼岸」は別荘である。別荘を買ってもう5年になる。気がついてみると別荘と東京の生活を、温泉を除いては同じような環境にしようとしている。
例えば、ピアノの練習用にエレクトーンを持ちこみ、油絵の道具をワンセット置いてある。まだ東京ですることが多くて、伊東では油絵を一枚しか描いていない。友人に言わせると、本当に油絵が好きだったら他のことをおいてでも描くべきだと。確かにそうかも知れない。
精神面では、夢の世界は一時的な来世・死後の世界ではないかと思う。夢と彼岸との差があるのは、夢がさめるとこの世に戻るが、彼岸(来世・死後の世界)は永遠である。
法事やお盆に親族が集まるという風習は、日本の良い伝統だと思う。親族が集まり、在りし日の亡くなった人をしのぶのは、亡くなった人と現世の人と会話しているとも解釈出来る。
最近の親戚の法事で、義母が「お父さんの肉体は天国に召されたけれど、魂は毎日私たちのことを見守ってくれている」としみじみと話していた。
我が家でも、毎朝愛犬2匹の写真を前に「今日も一日家族を守ってね」と話しかけている。その瞬間には、ロッキーとコロの魂は我が家に戻っているのだと思う。
自分は、遺伝子という観点からは、半分子供に乗り移っていると言えるのではないか。だから、死後も息子の魂の半分を借りて、引き続き世の中を見ることができる。
そう考えれば「死」後、肉体は土にかえるが、精神・魂は子供の心に(勝手に)移るのだから怖いことではない。死を恐れて心配する時間があったら、せいぜい今を楽しむ時間を大事にしたい。
船内のスピーチ・コンテストでのこと。コロンビア3世のSさんが「今ピースボートで旅行しているのを、天国にいるおじいちゃん(日本人)も一緒に見ていると思う。おじいちゃんありがとう」と日本語でスピーチして観客は大拍手。同じ発想をするものだと思った。彼と話してみたい。
中野孝次の「ガン日記」(文芸春秋2006.7)には、次のように書かれている。「衰えつつも一日一日をよろこんで迎え、日々何かの楽しみを見つけなければ、生きていても詮なし。晴れやかに、快活に、日々を生きよ、と自分に向って命ず」
さらにセネカを引用して「人生がどこで打ち切られようとも、わが幸福なる人生に何一つ欠けるものはない。幸福なる人生とは、心に不安がないこと、不動の内的な平安があることだ」と。
ガンを告知されると誰しも「なぜ自分だけが」という反応をする。セネカは「誰かに起こりうることは、誰にでも起こりうるのだ」と言う。これは正しい指摘だが、いざその場面になると人間は弱いのだ。
よく「あと1年の命と宣告されたら?」というが、私は「あと10年の命」と宣告されるのとでは大差ないと考えている。あと1年だから一日一日を大切に生きる気持ちを、10年間持ち続けることが大切なのだ。でも、人間それがなかなか出来ない。まだ10年もあると考えて無駄使いしてしまう。
(王家の谷)
新王国時代になるとファラオ(王)たちは、ピラミッドで盗掘されるのを防ぐため、ルクソール西岸の奥深い谷に死後の安住の地を求めた。これが王家の谷である。
王家の谷の外観は、ピラミッドの壮大さに比べて、西部劇に出てくるような荒涼とした砂漠。インデアンが崖の上から銃で狙っている光景を思い浮かべてもらえばよい。中王国時代には、ミイラにつけていた宝飾品が盗掘の対象となり、ミイラは放置された。
ここでも略奪は避けられなかったが、ツタンカーメン王の墓は、質素だったから盗掘をまぬがれたという。それでも、その副葬品が5千点ともいわれ、カイロにあるエジプト考古学博物館の2階の半分を占めている。
バスで移動中、降雨量がゼロの土地に青々とした緑が続く。灌漑技術が優れていたといっても、ロバが動力で簡単な水車を回してナイル川から水を汲み上げるもの。
ラスベガスも砂漠の真ん中に作られた町である。現在はカジノを中心とした観光業が栄えている。ここはコロラド川から大きなパイプラインで水を引いているので、エジプトとは灌漑の仕掛けの規模が違う。
エジプトがラスベガスと違う所は、ナイル川が上流の肥沃な土地を運んできたので農業が栄えた。エジプトのほうが生活のにおいがする。

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