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2006年12月29日 (金)

第二章 シンガポールからエリトリアまで-1

第二章 シンガポールからエリトリアまで

シンガポール

7月31日~8月1日:シンガポール

アンコールワットからプノンペン経由で、空路シンガポールに着いたのは7月31日16時頃。トパーズ号が出航する(8月1日02:00時)10時間くらい前だった。
アンコールワットの暑さで疲れていることもあり、街には出ず、ターミナルにある大きなショッピングセンターで買いもの。アンコールワットで知り合ったTさんと一緒にみやげ物を物色する。
みやげ物からテレビなど電化製品まで何でも売っている。しかも、入り口には日本語で「いらっしゃいませ。円も使えます」と張り紙があり、店員も日本語で話しかけてくる。日本からの旅行客が多い証拠だ。

Tさんはワゴンで店を出している「梅干屋」(日本語で店の名前が旗に書いてあった)で干したあんずを買った。部屋の仲間とのおやつに丁度よいと言っていた。
私は、今までの飛行機旅行ではかさばり荷物になるので買えなかった、ラン(オーキッド)の造花を2束買った。色とりどりの単品の造花を自分で選んで花束にした。長さ1メートル弱の大きな束になってしまった。船だから横浜まではよいが、横浜からどうやって持って帰ろう。本物のランを入れた額も妻のアンコールに答えて買う。

船内では果物が少ないので、地元の人が行くようなスーパーを探しりんごを2つ買う。やはり新鮮ではなかった。妻からのメール「船内は果物が出ないでしょうから、きっと寄港地で果物を仕入れているのでは?」を思い出し笑った。
シンガポールでは、シティバンクに勤めていたときの出張で、動物園のオランウータンと肩を抱き合った写真が思い出に残っている。おとなしいオランウータンで良い記念になったが、写真を見るたびにオランウータン独特の体臭もリアルに思い出される。鼻に記憶細胞があるのだろう。

 8月1日船内では、シンガポールで仕入れた南国の果物(マンゴー、パパイヤ、スターフルーツなど)をワゴンに並べたフルーツパーティがあった。350名限定の有料のイベント。ぶどうやいちごの食べ放題と同じで、食べ放題と言ってもそんなには食べられない。健康オタクとしては、中性脂肪の数値も気になる。

(マラッカ海峡)

 マラッカ海峡は海賊銀座と言われ、日本の船が海賊に乗っ取られたという記事が新聞によく載る。マラッカ海峡は、全長900キロメートル、巾70~250キロメートル、水深平均25メートル。岩礁や浅瀬が多いので、大型船の通れる巾が数キロメートルしかない場所がある。

船が岩礁や浅瀬を避けて、スピードを落とすときに海賊に狙われやすいそうだ。船には銃類は置けないので、消防用の水で応戦するという(注)。わがトパーズ号は、パナマ籍船だったことも幸いしたのか襲われなかった。
日本の国旗を掲げている船よりは襲われる確率が低いだろう、と勝手な解釈をする。それとも海賊が夏休みだったか。飛鳥IIの方が金持ちのお客が多いので、襲うのならそちらに願いたい。
(注)帰国して聞いた話では、飛鳥IIが一泊のツアーで伊東に寄航したという。そのときの写真を見せてもらったら、船首に海賊と応戦するための巨大な水鉄砲のような装置がついていた。

 今回の船旅でもう一つ心配なのは鳥インフルエンザ。これについては事前の説明会で、専門家が調べているので心配ないと言っていた。
船内の鶏料理は大丈夫か?寄港地のホテルで出る食事は?と心配し始めると何も食べられなくなる。
日本にいても食材の大半が輸入品の状態だから、鳥インフルエンザのリスクは日本にいてもあると思う。とにかく海賊や鳥インフルエンザなど、船旅に伴うリスクは心配すればきりがないので、気にしないこととした。

8月2日:自主企画「熟年同士で語り合う、人生を楽しく生きるコツ」

私は自主企画の始まる8月3日に申し込み「熟年同士で語り合う、人生を楽しく生きるコツ」を一時間主宰した。40人くらい集まり、初めての試みとしては成功か。
3人を1グループにして自分たちのコツを話し合ってもらい、それをグループごとに発表してもらうこととした。 

発表されたコツは、次のように多岐にわたった。
「健康」
「前向き・何事にも興味を持つ」
「相手の立場に立つ」
「社会への貢献」
「オンリーワン・自然流」
「自然・若者と共生」などさまざまな意見が出た。

「『こだわる』ことを大切にする」
「フーテンの寅さん流の生き方をする」もおもしろい視点だ。

ピースボートに乗るのも、人生を楽しむ方法の一つだ。その前提の一つは健康であること。そこで、次は健康について取り上げることにした。
若干自主企画に病みつきの気配もあったが、船内でじっとしているのもつまらないので、このアイデアの延長で健康講座シリーズを開くことになる。6回とおまけに文化祭で総集編までやってしまった。

2006年12月28日 (木)

カンボジア人とその生活

(カンボジア人とその生活)

カンボジア人も日本人と同じように温かくて親切だ。ホテルで同室だったMさんは、その理由を「日本人もカンボジア人も多神教(それぞれ仏教・ヒンドゥ教)を信仰しているからだ」
「ユダヤ教のように一神教では、自分と相容れない者に容赦がない。多神教は他を許すこころがある」と説明していた。そうかも知れない。おもしろい見方だ。勉強する価値があるかも知れない。

ただ、日本も多神教だが、自分のグループメンバーでない「よそ者」には排他的なところがある。日本は基本的には、農耕を生活の基盤におく「村社会」である。水田に引く水を共同で使ったり、村全員で助け合いながら稲刈りをするなど「運命共同体」だから「集団主義」の要素が強い。
メンバーと違った行動をとる者には、調和を乱すものとして「村八分」という制裁を課す。また、仲間をかばいあう結果、組織としての自浄力に欠ける面がある。雪印事件や三菱自動車事件などは「ムラ社会」が原因と言われている。

ビジネスの世界では、日本の「集団主義」と外国(例えば、アメリカ)の「個人主義」とどちらが良いか、という議論をする。そして結論としては、両方の要素を調和させる(長所と短所を取り入れる―ハイブリッド―)のが理想だというのが一般的である。
京セラの稲盛会長は、安易なグローバル化に「和魂洋才」と言って警鐘を鳴らしている。外国の良さを取り入れる際に、日本の良さも残すべきだという。まったく同感。

こうした日本の良さを残すことについては、企業の世界ではかなり意識されているように思われる。しかし、一般には外国コンプレックスからか、何でも外国のものが良いと決めてかかり、日本の良さを忘れてしまう傾向がある。
日本の伝統を維持することは、時間とエネルギーがいる。特に若い人に日本の伝統が伝わり難い。地方の神楽などの舞い手の後継者がいないと言われている。お寺を中心にした祭りの維持も難しい。やっと町内会のお祭りが3年に一回くらいあるぐらい。檀家という言葉にいたっては死語だ。

ガイドのサムナンさんによると、都会での生活費は月50ドル、田舎では10ドルと大きな差があるという。
ホテルなどの新築ラッシュで、ビル建設の手伝いは一日2ドルとか。ということは、観光地で子供が売っている絵葉書10枚のセット2ドルは、高収入ということになる。

カンボジアでは、バイクが通勤など日常欠かせないもののようだ。我々のバスの間をぬって猛スピード追い抜いていく。道端には2リットルのペットボトルにガソリンを入れて売っている。
アンコールワットで観光に使ったバスは、ふた昔前の「木炭バス」を思い出す古い車だった。ハングル文字が車体に残っていたから韓国製と分かった。徒歩で観光している間にファンベルトを取り替えていた。途中でエンコしなくてほっとすえる。

フランス領だったなごりか、ホテルでのパンがおいしかった。比較的高いツアーなので、ホテルも高級ホテル、食事の内容も良かった。他のパッケージツアーと値段の比較をしても始まらない。
ここまで来てアンコールワットに寄らないのはもったいないし、最後のチャンスと思い参加した。今回の3泊の旅でMさん(元金融マン66才)と知り合い話がはずんだし、顔なじみもたくさんできた。
ピースボートでの船旅を考えている方にアドバイスするとすれば、オプショナルツアーは旅行の早い段階で取ったほうが良い。そうすると、相部屋になった人とじっくり話が出来て良い友達になれる。その後の旅行で話し相手になるし、輪が広がる。

上陸説明会で「カンボジアは日本と違っていろいろ不便ですので、あらかじめ理解しておいて下さい」と説明していた。
しかし、アンコールワットの中で、女性用トイレから「あら、鍵がないわ。電気がつかないし、トイレットペーパーもないわ!」という声が聞こえてきた。

カンボジアでは紙は貴重品なので、現地の人は、トイレットペーパーを使う習慣がないそうだ。だから水洗トイレは、紙を流す前提で設計されていない。水洗トイレで紙を使うとつまってしまうことになる。
それを防ぐために、使用済みの紙を入れる箱があるとか。これは台湾と全く同じ。もっともトイレには行ったが、大の方でないので実際に箱が置いてあるかは確認できなかった。
もちろんホテルには箱はなかった。ホテルの水洗トイレの設計は、一般のそれと違うのかも知れない。「ここは日本ではありません」と自分を納得させる。

電気も高い(輸入していると聞いた)ので節電が徹底している。我々の泊まったホテルでも観光して帰ってみると、部屋の電気が全部消えていた。すぐにレセプションに電話する。
キーカードを差し込むと電気がつく仕掛になっていた。

(カンボジアの入出国審査はきびしい)

前述のMさんは、用意周到に水筒を持ち歩いていた。入出国のX線検査の所で、女性係官がその水筒の中身を飲めというしぐさをしている。まわりの皆も唖然とした。
荷物検査が二回あるし、入出国審査のあと、ほんの10メートル歩いたゲート前で、またパスポートをまた見せろという。
30年前に、モザンビーク(南アの北隣)を仕事で訪問したことがある。その時には、空港で少年兵が銃を構えていたが、独立した直後でもあり違和感はなかった。今回は異常にきびしい。安全は大事だがやり過ぎも迷惑だ。

その後インド洋上で、イギリスでペットボトルによるテロ未遂事件があった、というニュースを聞いた。「安全は大事だがやり過ぎも迷惑だ」などと言っているのは良くないのかも知れない、と反省。
カンボジアは、正しいことをしているのかも知れない。このあとトルコでもテロ事件があり、日本の新聞に大きく取り上げられたと船内の掲示板で見た。この時はさすがにすぐ留守宅に電話した。もっともテロのあったのはテヘランで、我々の寄港地イスタンブールとは相当離れているが、留守家族は心配する。

(カンボジア国内便は、ミストのエステサービス付)

シェムリアップ(アンコールワットのある都市)からプノンペン(首都)への国内便だから、プロペラ機は納得(PMT航空、AN-24型)。
しかし、離陸準備中エアコンを入れてくれたのはよいが、いきなり冷風の吹き出し口から霧がどっと出てきた。みんなびっくり。耳鼻科でのどに蒸気をあてる、あのような霧だ。
添乗員があわてて、天井から垂れる水滴をトイレットペーパーで拭くしまつ。これを称して「ミストのエステサービス付」PMT航空はロシア籍と説明を受けたが、事実かどうか確かめるすべがない。

さらに「窓からタイヤが見えたけど、ツルツルに磨り減っていて中の白いものが見えた」という話を、飛行機から降りてから聞いてゾットする。
機内では、マラリアを媒介すると言われる「蚊」のおまけも付いていた。まさか機内に蚊がいるとは予想していなかったので、半そで姿の私は、あわてて虫除けの薬を塗る。
もちろんバスの中にも、レストランにも蚊がいるので、ホテル以外では気が抜けなかった。だから日中35度と暑いのに、どこに行くのも長袖、ジーパン姿だった。飛行機は大丈夫だろうと思っていたのに。

 カンボジアに出発する前の説明会で、カンボジアはマラリアの汚染地域になっているから予防薬を事前に飲むよう勧められる。7月25日から9月5日まで週一回合計7錠飲む。2,000円は安心料。
ところで、Mさんの父上は、戦時中支邦でマラリアに罹ったとのこと。しかし、そのお陰で赤紙が来ても、身体検査で不合格となり生き延びたとか。何が幸いするか分からない。マラリアにかかると体内で卵から幼虫、成虫と成長する過程で高熱が出ると教えてもらった。

日本語ガイドのサムナンさん

(日本語ガイドのサムナンさん)

現地ガイドのサムナンさんは、カンボジア難民の一人で、両親はポルポトに殺されたという。12年前に苦労してガイドの資格を取った。当時日本語ガイドは4人しかいなかったが、今は300人もいて仕事が回ってこない。今月はこのピースボートの仕事だけなので、感謝していますと。37才で8才の女の子がいて「目に入れても痛くない」という。
カンボジアは観光でもっている国である。最近の観光客には韓国人が多いのだそうだ。

日本語が分かりやすく、とても上手で、いつもニコニコしていて本当に感じが良い。みんなの人気者だった。
壁画の説明では、日本との比較(例えば、アンコールワットの時代は日本では鎌倉時代で・・・と説明)するなど、勉強ぶりがうかがえる。
知っていることを一生懸命に説明し、日本人添乗員に「時間がないので急いで」とせかされる。それでも10歩くらい行くとまた説明する。

車内で一生懸命にクメール語を教えてくれた。「こんにちは」は「スォウスディ」。これは「ソースではない」と覚えるのが良いと日本人ガイド。「ありがとう」は「オークン」(「王君」)。
みんな早速ホテルの従業員に試してみると、結構通じる。いや、通じているふりをしてくれているだけかも知れない。大事な収入源のお客様だから。

カンボジア人は握手の習慣がなく、手を顔の前で合わせて挨拶する。この手の位置の高さが、挨拶する相手によって違うのだそうだ。
友達の場合は胸の高さに、目上の人には口あたりの高さに、神様になると頭の上で手をあわせるのだそうだ。なるほどと納得した。

(プノンペン空港で)

プノンペン空港で歩きながら、日本人ガイドが、カンボジアの面積は北海道の97%と説明してくれた。97%とは細かい。これを聞いた直後、(これを聞いていなかった)他の人に「カンボジアの面積は北海道の96%だそうです」と言ったら納得していた。
両方の会話を聞いていた人が、まゆに唾をつけるしぐさをして「ガイドは北海道の97%と言っていませんでしたか?」と。それ以降私は「ほら吹きのタダさん」となる。

実はこれには訳がある。大脳生理学によると「人に聞いた情報を覚えるには、聞いた直後に他の人に話すと良い」と言われている。
人間の脳には、短期記憶装置と長期記憶装置がある。情報はいったん短期記憶装置に記憶されるが、「18秒」経過すると、その情報を長期記憶装置に移さないと消えてしまう。つまり、ある情報を記憶したつもりでも、18秒間何もしないと消えてしまうのだそうだ。

従って、長く覚えておきたい情報は、覚えた直後18秒の間に、長期記憶装置に移す作業しなければならない。その作業には「繰り返し声をだしてその情報を言う(18秒が中断しないで繰り返されるから、口で唱えているあいだは記憶されている)」、「書く」、「映像や思い出しやすい情報に結び付ける」などがある。

自分の住所を覚えているのは「繰り返し」使っているから。受験勉強のとき英単語を「書いて」覚えた。記憶術に「映像にむすびつける」というのがある。
こうした理由から、人の話をすぐ他の人に話すと、その話は長い間覚えていられるのだ。だから、今でも「カンボジアの面積は北海道の97%」という情報を覚えている。

第一章 船出からアンコールワットまで-2:アンコールワット

7月27日:ベトナム(ダナン)

台風の進路を避けて遠回りしたらしく、行程が一日遅れた。このため私が申し込んだ、ダナンでのツアーがキャンセルとなる。ダナンの街の風景を見たのは、カンボジアに向う(注)ために飛行場へ移動するバスから見た20分だけだった。
(注)行程の途中(ダナン)で船を降りて別のルートで観光し、次の寄港地(シンガポール)で合流するツアーがいくつか組み込まれている。ピースボートではこれを「オーバーランド・ツアー」と称している。

終戦直後の日本がこんな感じだったのか、と想像する。ゆっくり見る時間がなくて残念。それでもベトナム戦争の生々しいキズ跡が感じられ、平和のありがたさを思い知る一瞬であった。聞くところによると、ダナンは激戦地区だったという(勉強不足を反省)。

ベトナムやカンボジアを訪問すると、戦争は二度としてはいけないとつくづく思う。若い時にこうして世界一周のような旅行をすることは、大変有意義だ。「かわいい子供には旅をさせよ」の諺どおりだ。平和ボケの日本で、せつな的なTV番組ばかりをみて過ごしていると「井の中の蛙」になってしまう。
最初の訪問国だけに、日本との落差が大きく感じられたのかも知れない。街の雰囲気は、ごみごみしていてバンコックに似ているが、バンコックでは人がもっと多く活気があったように思う。

(青い鳥を探す)

船内新聞で「ピースボート旅行に参加した目的はなんですか?」という100人に聞いたアンケートがあった。アンケートの結果は、出会い40票、交流12票、新しい自分に変わりたい9票など。青い鳥を探す寓話のように、誰しもピースボートの旅で何かを期待している。

私の期待していることは、遺跡を自分の足で歩き、蒸し暑い熱帯雨林の自然を肌で感じることだ。初対面の900人との出会い。船での生活、自主企画のチャレンジ、自分の行き方を振り返り、これからの人生をどのように過ごすかを考えるなどなど。しかし、出発前の欲張りな計画は、最初の一週間の船酔いで徐々にしぼんでいく。
目標は高い方がよいというから、多少目標どおり行かなくても悲観することはない、と割り切る。100日間無事だけでも立派、と考えると心の余裕ができた。毎日を楽しむことの大切さを実感する。

本を書くといったら、次男から「所詮は自己満足」ときびしい指摘があった。自己満足でもよい、目標があるから毎日パソコンに向かって少しずつ書いているのは楽しい。この話を参加者にしたら「旅行はしょせん自己満足ですよ」と。
人生を振り返り「あの時はあーすれば良かったのに」と後悔したくない、と思い続けている。失敗は薬というが、失敗を恐れて何も行動しないよりはチャレンジする。もっとも、事前に計画に十分時間とエネルギーをかけて、二度と同じ失敗はしないようには心がけた。

今回の旅行は、そうした自分なりの今迄の取り組み方・生き方の、総仕上げのような感じがする。つぎつぎとツアー説明会が開かれ、いろいろな注意事項を説明される。そのとおり実行しないと大変なことになる。
例えば「帰船時刻に遅れて港に取り残されたケース」も過去の航海にはあるという。そうはなりたくない。

転職する時も、もしかしたら転職に失敗して生活に困るような事態が生じないか、と自問した。一方「あの時転職していれば・・・」と後悔したくなかった。
「転職していない人生」をビデオで再生することは出来ない。従って、二つのケースを厳密には比較は出来ない。
 
「転職して良かったですか?」という質問には「転職したから経験できたことが一杯あるので、良かった。比較は出来ない」と答えている。当時高校生だった次男の「働くのはお父さんだから、お父さんが決めればいいんじゃない」の言葉で決まりだった。

7月28日~31日:アンコールワット

(「アルカイダ」一族の手配写真)

アンコールワット(注)の遺跡群の観光のためには、特別なパス(通行証)が必要。テレビで見た南米の国境検問所のような所で、パスに貼る顔写真を取られる。なんと三日間で40USドルもする。
しかも、検問所で見学の都度ものものしい制服の係官がバスに乗り込んで、各自がパスを持っているかどうか確認する。忘れたら一日さらに20USドルを払わないと入れない。
ただし、パスに貼った顔写真がおみやげに残る。私の写真は、茶色のバンダナを鉢巻にしてサングラス姿。まるでアルカイダ一族の手配写真だ。

このツアーの私の評価は、満足度90点というところか。参加者の一人に聞いてみたら、意外と「期待していたほどではなかった」という。
マハーバーラタ物語の決戦の図を彫り込んだアンコールワットの回廊や、バイヨンの四面仏には写真とは違った感動がある。とは言っても、実はシャッターを押すのが忙しくて、じっくり見てはいないが。

マイナス10点は予想以上の蒸し暑さだ。気温36度、湿度70%の炎天下で、きつい観光だった。ペットボトルの水をチビチビ飲みながら、帽子はもちろんバンタナを首と頭に巻いて日よけ対策。
その上階段が多く、短い見学時間の中で欲張って見ようとするから早足になる。迷子になると船に帰れない恐怖心もある。ついに三日目の午後はダウンしてホテルで休憩。地球一周は未だ先が長いので、無理をしないこととした。

三日目になると、アンコールワットより規模も小さく、保存状態も良くないロルオス遺跡群に案内される。角材でかろうじて倒壊を防いでいる状態の部分もある。途中ユネスコや、フランス、日本の協力による修復作業も目の当たりに見ることが出来た。
佐渡島のお寺では、京都などの観光地に比べて資金が少ないので、朽ちるにまかせていたのを思い出した。世界遺産といっても所詮資金が十分でないと、このように広大に散在する遺跡の保存は容易ではない。そう考えると三日間で40USドルのパスは高くないか。

二人の現地ガイドが異口同音に「日本の援助で学校・病院の施設が良くなり感謝している」と言っていた。言い方が本当に心から感謝しているような口ぶりだったのが印象に残った。上智大が遺跡の修復をやっていると説明していた。

7月25日:時差発生を忘れる

7月25日:ベトナム上陸説明会

 原則として、寄港地に到着する2日前に上陸説明会がある。主として、パスポート審査などの入国手続き関係、気候、両替、現地の治安状況の説明を、参加者全員にする。
 ダナンでは「治安は良いですが、道路の横断にはご注意下さい」と説明されていた。ダナンではピースボートが上陸すると、交通事故が急に増えるという。理由は、日本人が道路を横断する際に「走る」からだ。ベトナムの人は走らないので、運転手は走る人を見るとびっくりして運転を誤るのだとか。

(時差)
 25日フィリピンの北を通過。午前0時(日本時間)に午後11時(現地時間=船上の時間)として、日本との時差を1時間調整する。今まで日本時間(=現地時間=船上の時間)で07:00に朝食をとっていた。これからは、船上の時間で07:00に朝食をとるということは、日本時間の体(体内時計)は08:00と認識することになる。1時間余計に寝た計算になる。
地球を西に回ると、少しずつ余計に寝るから体は楽だ。逆に東回りの旅行がきついのは、経度で15度東へ移動するたびに1時間ずつ寝不足になる理由だと実感する。
東回りの旅行は、体内時計に逆らって生活するから体に悪いといわれる。元勤めていた会社の役員が、一ヶ月間に南アフリカ、ヨーロッパ、オーストラリアと、立て続けに出張して体をこわした。 

シンガポールを過ぎてすぐに時差が変わるのだが、気がつかず調整しなかった。朝6時の太極拳に行ったら誰もいない。ハッと思って通りすがりの(外人の)クルーに時間を聞いたら「5時だよ」と。8月2、3、4日と立て続けに時差調整を行う。
早速時差を館内放送してもらえないか、とレセプションに申し入れたら「時差調整をするのは真夜中の24時なので、寝ている人を起こすことになり、24時に放送出来ない。そうかと言って24時以前に放送すると、放送を聞いた時点ですぐに調整する人が出てきて混乱する」との説明。意外と難しいものだ。という訳で、夕食事のテーブルの上に、時差調整をお知らせするカードが置かれている。船内の新聞にもお知らせがあった。私は二つとも見落としていた。
 
もっとも船の旅は、こうして時差を少しずつ解消するので、普通の飛行機の旅のように現地についた日は時差ボケで行動できない、という欠点がない。いわば効率の良い旅ができるという訳。地球を一周すれば日付変更線をはさんで一気に調整することになる。

船内新聞には「本日時差発生・・・24時なりましたら、お手元の時計を一時間お戻し下さい」というお知らせが載る。
ところが、例えば9月12日の船内新聞には「本日時差発生・・・24時なりましたら、お手元の時計を一時間お進め下さい」とある。カナリア諸島はスペインの一部だから、位置的にはスペインより時差にして一時間西よりにあるが、本国スペインの生活時間に合わせるための調整だ。これを逆時差という。
100日間で逆時差が三回発生した。一回目はシンガポールで、二回目はカナリア諸島で、三回目はグアテマラ通過後。船の旅には、時差調整用に二つの時計を持参するのがよい。

7月24日:台風5号の影響

7月24日:台風5号の影響

12時台湾の東側を通過。台風5号を追うように南下。波高く、運行状況を知らせる掲示板に2.40~3.60メートルと表示されていた(25日は6メートル)。揺れがひどく廊下を右に左に、斜めに歩く。酒に酔って深夜、千鳥足で帰宅した昔を思い出す。

のちに船の揺れに慣れてくると、体が自然に揺れにそって左右に揺れるようになる。ところが、寄港地に上陸すると、今度は地面が動いていないのに、体は左右に揺れている。
他の人に同じ経験談を聞いたときは「まさか?そんなことは起こらないだろう」と思っていたが、実際に自分の身に起きてみて実感した。(帰国して一週間くらいは、体がゆらゆらしていた。)

エレベーターは止まっているので、階段を手摺りにつかまりながらゆっくりと上り下りする。ちなみにエレベーターは日本で問題になったシンドラー社製ではなく、OTISと表示されている。船が50歳だそうだから、エレベーターも時代物。
エレベーター付近やデッキの手摺りのあちらこちらに、気分が悪いときに使う「船酔い用の袋(Sickness Bag)」が置いてある。あまり揺れがひどいと、エレベーターは停止する。

夜中に目がさめて、揺れがひどいのでそのまま朝を迎える。睡眠不足気味。でも無理してデッキを歩きまわる。デッキのソファーは、寝不足や気分の悪い人で満席。
「昼間寝ると寝つけなくて、悪循環になりますよ!」と助言してあげたいが、余計なお世話かも知れない。

(トパーズ号について)

私の乗った船は、トパーズ号という船で、総トン数31,500トン、全長195メートル、全幅27メートル、高さ30メートル、喫水9メートル、航海速力最大21ノット、乗客数1,487名。大きさは飛鳥IIと遜色はない。
トパーズ号は1956年イギリスで就航。50年も古いとは知らなかった。2~3年後には引退する予定とか。

そうと知っていれば乗船を躊躇したかも知れない。人間知らない方が良いこともある。英文では「TOPAZ TSS(Turbine Steam Ship)」と書く。
ディーゼルの船が常識の今日、世界中で「蒸気船(Steam)」が現役で動いているのは、この号だけなのだ。めったに経験できないことなのだと前向きに考えることにした。

ピースボートがトパーズ号を使い始めたのは3年前。一時期は「エンプレス・オブ・ブリテン(英国の皇后)」と呼ばれていてのだから、50年前は豪華船だったのだろう。エレベーター始め、建造当時から使用続けていると思われる設備・表示があちこちに見られる。
例えば、「診療所」は「Clinic」ではなく「Infirmary(付属診療所)」となっている。トパーズ号は英国で建造されたから、Infirmaryは英国式表現なのかも知れない。機会があったら英国英語を母国語としている人に聞いて見よう。

船に詳しい建築家のKさん曰く「最近建造された客船では、客室に接している廊下はまっすぐで、すっきりした構造になっていますよ。トパーズ号は、船室を継ぎ足し継ぎ足し改造したから、客室の配置が迷路状態になっているのですよ」

迷路状態という意味は、迷路パズルの図を思い起こしてもらえば分かりやすい。船の中央の通路から狭い路地に入り、更に右左に曲がらないと、たどり着けない部屋もある。
通路で案内しているピースボートのスタッフに聞いたら、初日だけで迷子は10人を下らないという。私も6日目に迷っている3人組のおばあさんに、その直後に若い人にも食堂への道を案内した。

トパーズ号の航海速力最大21ノットは遅いと思ったが、飛鳥IIでも23ノット、おがさわら丸で22.5ノットだからそれ程遅いことはない。それに通常航行している速度は時速17ノット(約時速30キロメートル)前後だ。のんびりした船旅なので、速ければよいということでもない。
昔は鈍行列車でゆっくり車窓の風景の移り変わりを楽しんでいたが、今は新幹線で車窓の景色を楽しむこともなくなった。仕事でも新幹線が出来たので、東京―大阪間は日帰り出張になった。それまでは出張先で一晩泊り、一杯飲んでコミュニケーションをはかれたが、それがなくなったのがさびしい。速いばかりが良いとは限らない

2006年12月27日 (水)

第一章 船出からアンコールワットまで-1

2006年7月中旬

出発の一週間前に78才の人生の大先輩から電話があり
「昨日(出発地まで飛行機で行く)2週間の地中海クルーズから帰ってばかりです。乗る船は大きいのですか?」
「3万トンです」
「10万トンくらいでないと外洋でゆれますよ。部屋は?」
「頑張って一人部屋にしました」
「部屋にはベランダがついていますか?」
「(えッ!)・・・」(我がトパーズ号は、プリンセス号のような豪華船ではないのです。)
この話はその後船内の食堂で、豪華船の話がでる度に何回か話すことになった。

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第一章 船出からアンコールワットまで

船出

7月21日:横浜から船出

9時受付開始というのに、8時過ぎにはもう並んでいる。自分も気の速い一人。入り口で船内IDカード用に写真を撮られる。ホテルのレセプションのようなカウンターで書類にサインする。ボーイのような人が荷物をもって船室(キャビン)に案内してくれて鍵を渡された。まるで海の上のホテルだ。
小学校のクラスメート3人が(固辞したが)横浜で見送ってくれたことを後でメールで知った。うれしい仲間だ。絵葉書を送ろう。雨だったので申し訳なかった
ボーと出航の汽笛が鳴ったのは12時ちょうどだった。期待していたドラの音はなかった。ランドマークタワーも半分は雲の上。あっという間に外洋にでる。

船に乗って初めての昼食。食堂のテーブル担当の人達10人ほどが、入り口で一列になって挨拶してくれた。我々のテーブル担当は、インドネシア人だった。
「ナマステ」と挨拶するインド人もいる。給仕に限らず船のスタッフに日本人はあまり見当たらない。20ヶ国、330名のスタッフが乗っているピースボートは、さながら「海の上の国連」。

船長はギリシャ人で、ディオニシス・クッカリス(Dionyssios Koutsoukalis)という。食堂のテーブル担当(ウェイター・ウェイトレス)はじめ、部屋の掃除係り、オフィサー、ほとんどが外人だ。アジア、ヨーロッパなど世界各国から来ている。フィリピン人(注)が多いようだ(あとから日本人は60人くらいと聞いた)。
(注)日本の外航船の外国人船員の70%が、フィリピン人だそうだ(2006・11・20朝日新聞)

ベトナム~アンコールワット

7月23日:避難訓練、ウェルカムパーティ

(避難訓練)

出航3日目に非常時の避難訓練があった。ライフジャケットを着用するのは、生まれて初めての体験なので、普段は見ないドア裏側の説明書きを読んでみる。ちょっと緊張する。

熟年のご婦人から「もっと緊張感をもって訓練して欲しい」
「点呼の声が小さい」などと注文が出る。
「沈没するときはどのくらいの時間がかかるのですか?」には
「ケースバイケースです」と説明に窮していた。

後でこの話を船に詳しいSさんに話したら「沈没するまでにどのくらいの時間がかかるのを知りたかったら、船長さん(船長は沈むまで船に残るから)の後ろについて時計を見ていれば分かりますよ」という答えだった。
ライフジャケットを使わないことを祈るのみ。

(ウェルカムパーティ)

フォーマル・ディナーがあるので、背広を一着だけは持参した。女性は衣装が大変のようだ。和服で決めている人も多い。
背広で初めての人ばかりとの夕食は肩がこる。飛鳥などの豪華船は、毎日がフォーマル・ディナーなのだろう。ピースボートでは航海中、5回くらいフォーマル・ディナーがあるらしい。中には堅苦しいのが苦手だといって、カジュアルに食べられる別の食堂ですませる人もいた。

(船酔いは一週間で治る、しかし・・・)

大学時代の仲間に、船酔いするから船旅はお断りと言われた。船酔いはトラウマになり易い。二度と経験したくない気持ちはよく分かる。
トパーズ号は、横揺れ防止装置つきの大型船だが、外洋に出るとやはり揺れる。今回は台風5号の影響で、乗船3日目から揺れだした。インド洋での揺れが特に激しいらしい。

船酔いは一週間で治ると聞いたが、台湾沖での台風の影響もあってか、人によっては長く苦しんでいた。中には3日間おかゆだけで「お腹と背中の皮がひっつきそうだった」という人もいる。
体調不良と電話すれば、部屋までおかゆを届けてくれる。ピースボートに三回乗っている人の証言では「船酔いの人は見るのも気の毒でした。毎日真っ青な顔をしていましたよ」と。

だから、船酔いする人に船旅は勧められない。折角楽しく過ごす旅が、船酔いで苦しみ台無しになってしまう。

いくらかかるのですか? 

船酔いは大丈夫ですか? 
船酔いがきつい人にはお勧めできません。本人が苦しむだけですから。少しくらいなら大丈夫という人なら、お勧めです。最初の一週間くらいで慣れると思います。

いくらかかるのですか? 
私の場合、旅行代を除いて、100日間の食事付きの一人部屋で200万円でした。4人部屋なら138万円(約6ヶ月前の早割り)からあります。一番高いのは、二人部屋で一人当たり350万円くらいです。

一番良かったことは?何が成果ですか? 
自分の好きなことを存分に出来たこと。私の場合「自分の好きなことはこれだ」ということを確認出来ました。それを楽しむことを覚えました。
また、自分の生き方を振り返り、これからもこれで良いのだと自信が持てた、ということも大きな収穫です。 
「『同好の士』が集まり新たな人脈が広がる。これが『好縁社会』です」と堺屋太一が書いています。(文芸春秋2006.11「団塊の世代:幸福への一千日計画」) 
ピースボートには旅行好きと、新たな出会いを求める「同好の士」が集まっていました。100日間寝食を一緒にした仲間ですから、家族です。ですから帰国してもずっと仲間でいられます。

もう一度行きたいところは? 
クロアチアのドブロブニクです。アドリア海と空の紺碧色。それと全ての家がレンガ色で統一されていて、それとの調和がすばらしかったです。旧市街は世界遺産にもなっていて、歴史の匂いが色濃く残っています。

食事は選べるのですか? 
席につくのとビュッフェ・スタイルと二つから選べます。数回フォーマル・ディナーがあって、ちょっと豪華な気分を味わう場面もあります。
年配者が増えたので、和食が中心になっているようです。イタリア料理とかベトナム料理など寄港地の食事も出ます。

ピースボートの特徴は? 
若い人と一緒に旅行出来ることだと思います。乗船客の年齢別比率は、30歳代未満が40%、30~50歳が20%、50歳以上が40%です。
自主企画といって、船内でいろいろな企画を、乗船客自らが立てて実行できます。これは、中高年の方にとって、自己実現の場と考えてよろしいでしょう。自分の知識・経験を生かして、好縁仲間を増やす良い機会です。

ピースボートに乗って、変わったと思いますか? 
私自分では変わったと思いますが、他の人にはすぐには分からないようです。 

団塊の世代に贈るリフレッシュ休暇100日航海日誌

65歳のインナー・トリップ100日航海日誌
2007年問題を前に、団塊の世代に贈るリフレッシュ休暇

今回の世界一周の旅行は、自分を見つめ直す良い機会となった。時間がたっぷりあるので、自分の本当に好きなことは何かを確認できた。
これからどう生きるか?人生の目的・目標は?社会とのつながりは?これからの人生をどのようにして楽しむのか?などを自問自答する旅でもあった。
この意味で「インナー・トリップ」という表現がふさわしい旅行だった。参加したのは、ピースボートが企画・運営する100日の世界一周の船旅(注)である。
(注)ピースボートのホームページはhttp://www.peaceboat.org/index_j.html。

私が飽きずに続けられることは、新しいことに挑戦すること、自分の知らない世界に触れ、そこから新しいことを学ぶこと、自分の知識・経験を生かすことなどだ、ということに気がついた。
例えば、船内の自主企画で健康講座のシリーズを主宰した結果、新しい出会いが増えたし、自分の知らないことを勉強できた。落ち込んだ時も、自主企画の準備や司会をやることで元気が出た。

趣味を続けながら、社会とのつながりとのバランスをとることが、これからの挑戦だと考えるようになった。人生について似たような考えを持った人に出会え、好縁仲間を広げることも出来た。
これからの生活を楽しみながら過ごせる自信がついたのは、最大の収穫だったと思う

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