2007年6月29日 (金)

帰国「船でみつけた宝物はなんですか?」

10月26日:下船説明会
 出発のときは、宅急便が各自の船室まで荷物を運んでくれるので、手ぶらでチェックインできた。帰りは税関検査があるので、自分の荷物は自分で運ばなければならない。
従って、例えば、ハワイで下船してゆっくり過ごそうと思ったら、スーツケース一つで乗らないと、いくつものダンボールと一緒に船から降ろされることになる。
Nちゃんというお孫さんと一緒だったMさんは、ハワイで大きめのスーツケース一つを引張りながら下船していた。最初から計画していたのだろう。それにしても、よく長旅をスーツケース一つで生活したものだ。

10月27日:船長によるさよならパーティ
オフィサーだけでなく、厨房スタッフ、ハウスキーパーなど全員を紹介した。みんなで拍手して、長旅を支えてくれた裏方さんへの感謝の気持ちを表わした。毎日のようにご飯だけを炊いている20代の若者は、日本人だった。
食材購入担当者も大事な仕事だ。寄港地ごとに地元の業者に食材を発注している。例えば、卵は約1万個、キャベツなどの野菜は100キロから1トン。インターネットで常に卸し業者を探しているという。
インドネシア人のウェイターに、教えてもらったタカログ語で「ありがとうとう」(「マラミサラミ」)というと、笑い顔がもどってきた。どうやら通じたらしい。

あと数日で元気に旅を終えられそうだ。みんなの顔に安堵感がただよう。乾杯でお互いの健闘をたたえあい、再会を約束する。100日前に期待していたことが達成されたかどうか、などはこの際関係ない。ただ元気なのが、なによりのみやげだと思う。

10月29日:帰国「船でみつけた宝物はなんですか?」
 100人アンケートの結果は、43人が「仲間:一生付き合いたい仲間ができた」7人が「貴重な体験:寄港地で偶然友達になった人が家に招いてくれた」5人が「新しい自分:自分のことをオープンに話すようになった」だった。
私の場合は、「新しい自分」だと思う。「敬子(ゆきこ)と愛のチェロ」を企画したKさんの話が、私に対する「生きている間に奥さんを大事にしなさい」というメッセージだったのかも知れない、と考えるようになった。

印象に残った寄港地は?というアンケートにクロオチアがトップだった。私もクロオチアなので、みんな似たような印象をもったのだと思う。ただ、その理由の中には「山からの夕日」の他に「生きているって思った」というおもしろい感想があった。

10月29日7:30横浜に入港。横浜で下船する500人近い人の荷物の搬出も大仕事。午後2時ごろやっと帰宅。出発前から約束していたので、早速床屋に3ヶ月のばした髪の毛を見せに行く。デジカメで髪ののびた様子を撮ってもらう。
 よる8時すぎにはウォークマンをつけて散歩。妻いわく「3ヶ月で少しは変わると思ったけど、出かける前と少しも変わっていないじゃない」

このシリーズは、今回で終わりですが、「団塊世代100日間世界一周の船旅-定年後のリフレッシュ」(多田 稔著)として文芸社から出版されます。書店でご覧いただければ幸いです。7月初めより店頭に並びます。お読みいただき誠にありがとうございます。
多田 稔

2007年6月16日 (土)

団塊の世代に贈る・・・これからどうする?

団塊の世代に贈る・・・これからどうする?

(現役か、ボランティ活動か?)
現役を卒業したら、ボランティ活動をすすんでする。ボランティア活動を通じて「自分も社会に貢献できる」、「自分の技術・能力の市場価値がある」と考える。
いろいろなボランティ活動があるが、「技術の伝承」にこだわらない。どこかの記事で、日野原重明さんが、ボランティ活動の例として「子供に昔話をしてあげる」ことをあげておられた。こうした活動も、広い意味で「技術の伝承」と理解すればよい。

定年後の再雇用制度で、現在の仕事を続けるのが「現役を続ける」という意味で理想だと思う。この場合はまさしく「技術の伝承」である。
「技術」という文字にとらわれず、社会に貢献することは山ほどあるのだから、現役にこだわらずに、個人の得意な分野で貢献すればよい。

ただ、いつまで現役を続けるかは、個人差がある。最近73歳のクリント・イーストウッド監督は、TVのインタビューに「自分の中では引退とは、自分の納得のいくレベルの仕事が出来なくなった時に考える」と答えていた。
なるほどその通りだ。無理して背伸びをしないことだ。歌手で声が出ないのに歌っている姿を見ると気の毒になる。

ちなみに、クリント・イーストウッド監督・主演の「ミリオンダラー・ベイビー」(2004アカデミー4部門受賞)が2006年12月7日TVで放映された。偶然だが、10月に船内でこれを見た。各々の部屋にあるTVに流されていた。見ごたえのある作品だった。

現役が望ましい反面「人生を楽しむ」という観点からは、いつまでも現役が良いかどうか疑問な点もある。現役を続けながら、「人生を楽しむ」ことと、「(ストレスのある)仕事」とのバランスがとれれば一番理想である。
昨年定年退職された方からいただいた2007年の年賀状に「趣味、ボランティア、仕事のバランスを取りながらの第二の人生のはずが、バランスが崩れ趣味の時間が減る一方です」というのがあった。
 万人に共通の回答はないのだろうが、一つの考え方は、徐々に趣味に使う時間を増やすことが良いと思う。そのスピードも人さまざまで良いのではないか。オンリーワンの思想だ。

やはり、自分の時間と、ボランティ活動・仕事などに費やす時間とのバランスも大事な要素である。趣味に使う時間や、家族・友人を過ごす時間は十分確保しておきたい。
ただ、バランスをとる単位を毎日~一週間ではなく、3~6ヶ月くらいの長期の中で考えるとよい。仕事が入れば、趣味は少し後回しでもよいだろう。ただし、仕事に夢中になると自分の時間がなくなってしまうので、あらかじめ計画を十分立てることが大切だ。

例えば、仕事でもボランティ活動でも、引き受ける前に自分のために使う時間をあらかじめ確保した上で、計画を立てることをお勧めする。私は定年後5年間、そうした考え方で過ごしてきたつもりだが、なかなか思うようにはいかない。

バランスをとることは、生き方についてだけでなく、あるべき国の姿を議論するときにも大事なことである。
藤原正彦御茶の水女子大学教授の「国家改造という大それた仕事にとりかかるなら、それに見合った日本の叡智を結集しなければならない」だから、市場原理主義に偏らない、バランスの取れた議論がなされるべきだ、という主張に、「アッ!これだ!」と気がついた。
(「国家の堕落」文芸春秋、2007.1)

 教授は「日本には、お金よりも大事なものがいくつもある」現状では市場原理に偏った議論により「改革の名のもとに、国柄を壊している」日本は、「特殊な伝統や美風といった国柄が、微妙かつ絶妙な『バランス』をもって機能しつつ発展した不思議な国である」という。
 これからの世の中の動きを見ていく上で、非常に参考になる見方だ。既にふれたように「一つの意見を聞いたら、他の意見もある」と考え、他の意見にも虚心坦懐に耳を傾ける、習慣を持ち続けることが大事だと思う。

(「カキクケコ」という標語)
「人生を楽しむ」ためのコツを話し合う自主企画で「カキクケコ」という標語を教えてもらった。カ:感謝、キ:興味、ク:工夫、ケ:健康、コ:恋、だそうだ。
読者の皆さんは、それぞれご自身に合う標語をお持ちだと思う。私の場合、「カキクケコ」に沿って「これからどうする?」と自問自答すれば、次のようになる。

第一に、「感謝」の気持ち。Kさんの私に対する「奥さんに感謝し、生きている間に奥さんを大事にしなさい」というメッセージを大切にしようと思う。
「親切は人のためならず」も大切な言葉だ。近所の奥様が、医者から「一日に一つは他の人に親切なことをしたかを、毎日ふり返りなさい」と言われたという。ボランティア活動も含め、親切にしようという気持ちが大事だと思う。

第二に、これからも、目標を立て、いろいろな「興味」は持ち続ける。油絵も描きたいし、ピアノの新しい曲にも挑戦したい。
ただ、挑戦のテンポは今までより「スロー」で良いと思う。時間の過ごし方をゆっくりする。歩き方は「ゆったり」に変わらないかも知れないが、待つことを楽しめるだろう。

第三に、「時間管理」を身につけて、いろいろな「工夫」を楽しもう。多様な人と付き合う工夫も身についた。

第四に、「健康」第一。今まで以上に、健康に時間とお金を重点的に投資しよう。

第五に、「恋」は「ときめき」「感動」を大切にする、ということだと思う。ハイビジョンで見るNHKの世界遺産も感動するが、ピースボートで訪ねた世界遺産の光景は網膜に焼き付いていて、その感動は違った質の感動だ。この差はCD・MD演奏と「なま」演奏の差に似ている。これからも、「なま」に接する機会を多くしよう。
12月17日NHKの「認知症・・・そのとき、あなたは」で「社交ダンス」は異性の手を堂々と握れるので良い、と言っていたのはこのことだ。社交ダンスの代りに、例えば、若い人々と話すことも良いと思う。

 要は、「人生を、自分流に、ゆったりと、前向きに、楽しむこと」の一言につきる。

船長によるさよならパーティ
10月22日:「DAつSA BoつSAの人生相談」
「DAつSA BoつSA」というのは、二人の若者のニックネーム。名前の由来はよくわからない。彼らの企画する「人生相談」にゲストとして出てくれという。若者たちとのよい交流の機会と思い、Mさんにも声をかけて出席する。
二人は学生で、まじめにこれからの人生を悩んでいるように見えた。ただ、リストラによる賃金カットなど、マスコミで取り上げられる暗い面を強調しすぎるので「マスコミの情報に振り回されないために、2紙以上の新聞や、月刊誌を読むのが理想だ」とアドバイスした。こうした企画に出てこない若者たちのほうが心配だ。

10月24日:船内新聞の航海日誌
船内新聞には航海日誌というコラムがあり、クルージング・ディレクター(ピースボート旅行全体の責任者)Nさんが書いている。100日間欠かさず書くのは、さぞかし大変だと思う。天声人語なども担当の人が何人かいて、交替で書いていると聞いている。

 その中に「昨日、船内であるご年配の方に、この50年間で日本は何が変わったのか、と伺った。その方はなによりも『家族同士のあり方』を例に挙げ、昔はあったご近所付き合いがなくなり、日本人は他人を思いやる気持ちが希薄になったと嘆いておられた。
『出会い』『つながり』これらの言葉は、この旅で得たものとして一番多く聞く、キーワードだ。その言葉通り、まずは家族や隣人との繋がりを再検証することから始めてほしい」と書かれていた。
まったく同感で、今日の航海日誌は、コピーを拡大して壁に貼ってもよいくらいだ。このコラムにはよいことが書かれているのに、若者たちが読んでいるのかなー?

10月25日:収穫祭
 前回の文化祭よりは小規模だが、ファションショーから、フラダンス、ウクレレ、三線、布ぞうり、写経、絵ハガキ世界一周と多彩だ。
 女性にとってファションショーは、見るだけでなく自分が舞台に立てるチャンスでもある。和服姿のシニアも生き生きしている。

 みんなで苦労して飾ったガラスケースの創作粘土も好評だ。先生を囲んで記念写真を撮る。みんなの笑顔がよい。ものを創る喜びが感じられる。
恩師の亡武田豊さん(元新日鉄会長)は、大脳生理学を人事管理に応用された方で「創造力を働かせると、前頭葉の活動が活発になり、やる気を起こす」と言われていた。話が飛躍するが、粘土細工にしろ、料理にしろ、創ることはボケ防止に役立つものと思われる。

このシリーズは「団塊世代100日間世界一周の船旅-定年後のリフレッシュ」(多田 稔著)として文芸社から出版されます。書店でご覧いただければ幸いです。7月初めより店頭に並びます。


2007年5月31日 (木)

ハワイ10月16日:「敬子(ゆきこ)と愛のチェロ」

ハワイ
10月16日:「敬子(ゆきこ)と愛のチェロ」
 Kさんは、亡くなられた奥さんの闘病記と、チェロ演奏について400ページくらいの大作を出版された。その紹介を自主企画され、船に持ち込んだチェロも演奏するオマケつき。熟年が30名くらい集まり、みんな感動。
 ケニアを過ぎた頃、Kさんと食事しながら本の話になり、貴重なこの本をお借りした。いつもと違い一気に読んだ。返す際には、食事のあとデッキで2時間以上、本に載っていない話も聞かせてもらった。

ハガキ大の奥様の写真をポケットから取り出し「ゆきこに、こうやって海をみせてやっているのですよ」と写真を窓から海に向けたときには、ジーンときた。
「健康のありがたさは、失って初めてそのありがたさが分かる」といわれるが、夫婦も同じだな、としみじみ思った。Kさんの話は、私に対する「生きている間に奥さんを大事にしなさい」というメッセージだったのかも知れない。反省しきり。
問題は帰国しても、この感動を忘れないで、素直に振舞えるかどうかだ。「ピースボートの旅行で変わった」と言われるように頑張ろう。

10月17日:しゃべり場「あなたにとっての憲法9条は?」
 ピースボート事務局の主催する企画とは別に、自主企画でも憲法改正のテーマが取り上げられていた。配布された資料によると「憲法9条改憲に反対する『九条の会』(2004年発足)」の立場をとる人の企画だった。企画者の話が多くて、あまり質問や意見を言う人が少なかった。シニアも若者たちの反応もイマイチだった。
私の意見は、憲法改正の問題について、専門家が我々素人に対して、もっと分かり易い説明をして欲しいと願うのみだ。今のままでは、同じ議論の土俵で議論されていないように思える。若者たちが議論に入ってこない、という問題以前のような気がする。

 「安倍内閣は短期政権に終わり、小泉さんが再登場して憲法を改正する」という立花隆の大胆な予想もある。この予想が当たるかどうかも興味のあるところだが、そもそも政治の世界は、コンピューターに乗らない人間くさい要素があるので、予測不可能の世界だと思う。だから政治評論家が食べていけるのだ。

 大学時代、故京極純一教授に「政治とは、ルールの当てはまらない世界だ」と教えられた。政治の世界では「何でもあり」だと言われる。最近の「刺客」の一件では「昨日の敵は、今日の友」という言葉が改めて引用されているが、まさしく政治の世界では、何が起きても不思議はない。予測不可能な世界なのだ。
政治の世界は権力闘争だから「誰が」提言している政策が採用されるかが問題だ。政策の中味、コストには関心がない。特に官僚は、コスト意識がまったくない。企業活動の世界では、企業間で競争しているので、コストを無視して議論は出来ない。ここが政治と企業活動との大きな違いだ。

このシリーズは「団塊世代100日間世界一周の船旅-定年後のリフレッシュ」(多田 稔著)として文芸社から出版されます。書店でご覧いただければ幸いです。7月初めより店頭に並びます。

2007年5月12日 (土)

第八章 サンフランシスコから横浜まで

第八章 サンフランシスコから横浜まで
10月11日サンフランシスコ 
メキシコ観光のあとダラス経由サンフランシスコに合流した。サンフランシスコ空港からバスで市内に入り、ツィン・ピークスはじめゴールデンゲイト公園などの市内観光。
ツィン・ピークスへの途中にはゲイ(注)の地区があって、中にはゲイと宣言するための旗をベランダに掲げている家もある。
ガイドによるとゲイは一目見て分かるという。バスの中から「あのバス停に立っている人はゲイですよ」というが、我々には見分けがつかない。
(注)ホモとレスビアンの総称
「どうしてゲイと分かるのですか?」
「髪の毛を短くしていてこぎれいな人はゲイです」とのこと。

ゲイはきれい好きで家のまわりもきれいにするので、ゲイの地区の家賃は他に比べて高いという。30年前駐在員でニューヨークの郊外の一軒家に住んだとき、落ち葉拾いなどきちんとして家のまわりをきれいにしておかないと、近所から苦情がでた。
その時の理由がきれいにしておかないとその地区の家の値段が下がるからという説明を受けた。同じ理屈に納得。

サンフランシスコの人口80万人のうち14万人がゲイで、しかもゲイが増えているという。きれい好きを集めれば土地・家の値段が上がるからという。
市長も選挙で当選するにはゲイの力がいるので、無視できない。「現在の市長もゲイかと言われた時期もあったが、結婚したと思ったらすぐ離婚。そのあと彼女がいるとかで、何がなんだか分かりせん。まあ、どうでも良いことですが」

ちなみに花屋さんの多くがゲイだという。きれい好きなことと家を花でかざるのが好きなことと関係があるかもしれない。
それにしても、人口の2割近くがゲイとは。また、中国人は20万人というからすごい。しかも、1億円はするという高級住宅の多くは中国人が所有しているという。サンフランシスコはゲイと中国人の街?

フロントで一列に並んでチェックアウトをしていた時。次は私の番だった。後ろには外人の初老の紳士。
私の番になってカウンターで手続きをしてもらっていると、同じツアーの人(日本人)がいつの間にか私のそばにいる。あれー?確かに私の次には外人が並んでいたのに、と思って後ろを振り返ると、その外人が不機嫌な顔をしている。
とっさに「皆さん順番に並んでいるようですよ」と。彼はばつの悪そうな顔をして最後尾に並びなおした。ヤレヤレ日本人の観光客は・・・。

88歳のお兄さんと77才の妹さんが、フィッシャーマンズ・ワーフをゆっくり、ゆっくり散歩していた。妹さんがお兄さんを抱えるように支えて。
観光地のわりには、現地の人も観光客もゆったりペースのフィッシャーマンズ・ワーフ。ここは二人のペースにあった場所のようで見ていても安心できる。

フィッシャーマンズ・ワーフのピア(埠頭)39番には数十軒のレストランやみやげ物屋が集まっている。ツアーの昼食に入ったレストランで、皆が窓に集まって「あー!オットセイがいる」と叫びながらシャッターを切っている。
なんとポンツーン(すのこ状の板などを海の上に浮かべたもの)に数十匹のオットセイが昼寝をしている。そばを観光船が通ってもびくともしない。

ダルメシアンの親子を正装させてベンチに座らせ、観光客に写真をとっている。犬好きにはこたえられない記念写真になる。
例外なく撮影が終わったらワンちゃんを撫でていく。当然チップとして何がしかのお金を渡している。犬権侵害の感じがするが、フィッシャーマンズ・ワーフでは風物詩のように自然に見えるから不思議だ。

このシリーズは「団塊世代100日間世界一周の船旅-定年後のリフレッシュ」(多田 稔著)として文芸社から出版されます。書店でご覧いただければ幸いです。7月初めより店頭に並びます。

2007年4月25日 (水)

(特集)団塊世代に贈る「第二の人生を2倍楽しむコツ」

(特集)団塊世代に贈る「第二の人生を2倍楽しむコツ」
・・・あなたの悩みはこれで解決! 多田 稔

(はじめに)

第一章 あなたにとって不安なこと、悩みごとは何ですか?
「幸せ」とは何か・・・・・「不安のない」生活
「生と死」について
第二章 「第二の人生を楽しむコツ」考え方・キーワード
「バランス」「オンリーワン」「チャレンジ」
第三章 「生き生き」とした第二の人生を送るために:「あなたは、どれにあてはまりますか?」
考え方のステップ
① 心配ごと・悩みごと・やりたい事(目標)を整理する
(例)あなたの退職後の心配ごとは何ですか? ⇒「答えA」
② 考え方を整理する
(例)あなたは退職後何をやりたいですか ? ⇒「答えE」
③ 行動計画を立てる
第四章 行動計画を立てるにあたって:「2つ以上の解決策を検討しましたか?」

(おわりに)

(はじめに)
 団塊世代のサラーリ-マンのみなさんが、定年退職後にどのような生活を送られようとしているかは、人により様々だと思います。
 ・退職金をもらっても、お金が足りないのではないかと心配されている方、
 ・お金はあるが、健康状態が良くないので、健康で長生き出来るかと心配されている方、
・お金もあり健康だが、夫婦関係がうまくいくかどうか悩んでおられる方、
・社会貢献をしたいが、(例えば、介護の資格はないので)どうしたらよいか迷っておられる方、などなど。

これは、みなさんの心配ごと・悩みごとや、やりたい事を整理して、「第二の人生を2倍楽しむためのコツ・考え方」のヒントをまとめたものです。
定年退職後「お金の不安がなく、健康で長生きする」のが理想的ですが、あなたにとっては何が一番不安ですか?
あなたにとって「幸せ」とは何ですか?あなたは、どんな第二の人生を送りたいのですか?これからの人生を楽しむコツは?
本書は、このような疑問にみなさんが自問自答される上で、参考になる考え方の軸・キーワードを提案するものです。
いくつかの質問に答えていただくと、みなさんの心配ごと・悩みごとや、やりたい事について、整理し易いようになっております。

第一章 あなたにとって「幸せ」とは何ですか?  不安なこと、悩みごとは何ですか?
「幸せ」な生活とは、「生まれ」や「育ち」とは関係なく、「不安」がなく、本人が「幸せ」と感じている生活と言えると思います。「生まれ」や「育ち」は、与えられたもので、自分で自由になるものではありません。しかし、「不安」に感じるかどうかは、あなた次第です。退職後の生活について、あなたが現在感じている「不安」を明確にし、その「不安」を取り除くことが先決です。
まず「幸せ」とは何か、について考えてみます。「生まれ」「育ち」に恵まれ、「幸せ」をつかんだと言われる人々が目につきます。ここでは、「生まれ」は「遺伝的」に才媛・健康に恵まれ、親の「遺産」があることを言います。「育ち」は「家庭環境」が良く、友人関係も良いことを言います。
しかし世の中、「生まれ」「育ち」に恵まれている人ばかりではありません。この二つがそろっていなくても、「幸せな人」はいっぱいいます。それは「幸せ」の物差しが人によって違うからです。よく「幸せ」かどうかは本人にしか分からない、と言われます。このことに気がつくと、世の中の見方ががらっと変わります。

最近、団塊世代の男性に、「定年退職後なにが不安ですか?」というアンケートが出されました。第一に年金、第二に健康、第三に夫婦関係と答えたと言われます。中には「やりたいことがみつからない」という答えもあったということです。
瀬戸内寂聴さんはあるTV番組で、「やりたいことがみつからない、というのは、男としてだらしがない。世の中にはりりしい男の人も多いのに、こうしたアンケートの調べ方がおかしいのではないのですか」という趣旨の発言をされていました。私も大の男がなさけないと思います。若い人が自分のやりたいことがみつからない、と悩むのは分かりますが。 

「お金に不自由しない、健康に不安がない、人間関係に不安がない」と三拍子そろった人はまれです。お金が十分あり、健康に不安がなく、人間関係も良い人は、「幸せ」な人です。この本を読む必要がない人たちです。
お金に不安がある人は、お金を増やす本を読んで勉強するのも良いでしょう。しかし、この本を読めばその必要はありません。お金が少なくても幸せと感じるかどうかが大事なことです。他の人と比較することなく、「身の丈の生活水準」で満足する幸せを感じることが出来ます。
健康に不安がある人は、健康増進の本を勉強して下さい。しかし、その前にこの本を読んで「健康のありがたさ」を感じ、これからは時間とお金を重点的に健康に投資する決心をして下さい。寝たきりになったらどうしよう、などと心配する時間があったら、規則正しい食事・運動・睡眠に気をつけて「体と心」両方の健康を維持・増進して下さい。
人間関係に不安がある人は、人間関係を良くする本を勉強するのも良いでしょう。しかし、この本を読めばその必要はありません。これからは、今までとは少し考え方を変えて、好きな人とだけ付き合えば良い、と割り切るのです。サラーリ-マン時代には、「嫌なヤツ」とも付き合う必要がありストレスがありましたが、これからはその必要はないのです。むしろ今まであまり省みなかった奥様や家族との関係を良くする工夫をして下さい。
社会とのつながり、社会貢献も必要だと考えられる人は、ボランティア活動に積極的に参加して下さい。堺屋太一の提唱する「好縁社会」を広げるのです。そうすれば「孤独死」になる心配はいりません。

あなたは「生と死」について考えたことがありますか?
「生」は与えられたもので、我々の自由になるものではありません。「死」も同じで、自分で「死」を選ぶのは賛成できません。「生」を受けたことを感謝し、「死」は自然の流れとして粛々と受け止めることが出来れば、心のやすらぎが得られます。人は「やりたいことがある」間は、「死」を考える暇はないのです。私の子供たちが中学生のころ「自殺したいか?」と聞いたことがあります。答えは「これからいろいろなことをやりたいので、自殺なんか考えたことがない」という答えでした。仲の良い友人は「自分は、毎日やりたいことを精一杯やっているから、いつ死んでも悔いはない」と言っています。
定年退職後に何をやりたいかは、できるだけ早く考え、準備することをお勧めします。趣味についても同じで、退職後考えるのでは遅いのです。少しずつ準備を始めることが大事です。
「生まれ」=「遺伝」と考えると、健康に恵まれた人は「生まれ」が良かったのです。これは、「運」と言ってもよいでしょう。他人の運の良さをうらやんでも仕方のないことです。生まれついた健康状態をより良くすることが大事なのです。
「育ち」=家庭環境、友人関係と考えると、家庭環境は与えられたものですが、友人関係は自己責任で良くもなるし、悪くもなります。黒柳徹子さんのお母さんが「長生きの秘訣は、好きな人と付き合うこと」とある雑誌に書いていました。第二の人生では、好きな人とだけ付き合えばストレスもなくなります。他人の目を気にすることも止めましょう。人は仲間と一緒にいたい、という欲望(集団本能)があります。好きな仲間を作って「孤独死」は避けたいものです。かといって、嫌いな人と無理をして付き合うのは、サラーリ-マン時代で終わりにしましょう。サラーリ-マンを卒業すれば、仲間を選ぶことが出来るのですから。堺屋太一が「好縁社会」を大事にしよう、と言っているように、今まで築いた人間関係を維持し、新たな「好縁仲間」を増やして下さい。
「目標」を持って、毎日「努力」を積み重ねている人には進歩があります。進歩を感じるとき、人は「幸せ」だと思います。サラーリ-マン生活を終わって、ほっとして何もしないと「ボケる」と言われるのは、目標を失うからです。定年退職後の目標は、ボランティア活動のような社会とのつながりがあるものが理想です。しかし、趣味に磨きをかけるのも良いでしょう。例えば、ゴルフでシングルをめざす、というのも理想的な目標です。人は、目標に向かって「努力」しているときに「幸せ」を感じるのです。もちろん、定年後の再雇用などで準現役を続ける場合、仕事のストレスで健康を損なわない状況であれば、仕事を目標にすることで良いと思います。この場合、仕事と趣味のバランスをとることが大事です。

第二章 「第二の人生を楽しむコツ」考え方・キーワード
「第二の人生を楽しむ」上で、いくつかの考え方・キーワードを提案したいと思います。
第一は、「バランス」です。
例えば、仕事と趣味のバランスを考えてみます。現役が望ましい反面「人生を楽しむ」という観点からは、いつまでも現役が良いかどうか疑問な点もあります。現役を続けながら、「人生を楽しむ」ことと、「(ストレスのある)仕事」とのバランスがとれれば理想的です。
昨年定年退職された方からいただいた年賀状に「趣味、ボランティア、仕事のバランスを取りながらの第二の人生のはずが、バランスが崩れ趣味の時間が減る一方です」というのがありました。やはり、自分の時間と、仕事・ボランティ活動などに費やす時間とのバランスをとることは、難しいようです。第二の人生では「人生を楽しむ」ことに優先順位が高いのですから、趣味に使う時間や、家族・友人と過ごす時間は十分確保しておきたいものです。
ただ、バランスをとる単位を毎日~一週間ではなく、3~6ヶ月くらいの中・長期の中で考えるとよいと思います。仕事・ボランティ活動が入れば、趣味は少し後回しでもよいかも知れません。ただ、仕事に夢中になると自分の時間がなくなってしまうので、あらかじめ十分計画を立てておく必要があります。例えば、仕事でもボランティ活動でも、引き受ける前に、自分のために使う時間をあらかじめ確保した計画を立てるようお勧めします。私は定年後5年間、そうした考え方で過ごしてきたつもりですが、なかなか思うようにはいきません。試行錯誤の連続でした。

第二は、「オンリーワン」です。私もサラーリ-マン現役時代は、「ナンバーワン」を目指して頑張ってきました。しかし、サラーリ-マン卒業後は「オンリーワン」で良いと思います。自分らしさ、自分流の生き方、楽しみ方を大切にしたいものです。そのためには、他の人と比較しない癖をつけたいものです。
「上を見ればきりがない」と言われます。人それぞれ「生まれ」も「育ち」も違う訳ですから、定年退職後の生活環境が同じでないのが当たり前なのです。サラーリ-マン時代は、業績評価や昇進などで仲間ではありながら競争状況にあったので、比較するのもやむを得なかったと思います。しかし、サラーリ-マン卒業後は、自分だけの生活を、自分流に楽しむ、いわば「自己中心」でよいのではないでしょうか。
特にお金の面では、ついつい他の人と比較しがちです。しかし、親の財産を受け継いだ人もいれば、一代で努力している人もいます。前小泉首相ではありませんが「人生いろいろ、人もいろいろ」です。お金持ちを見たら、「うらやましい」と思わずに、「幸せな人もいるものだ。前世に余程良いことをしたのだろう」と思えばストレスは生じません。
この意味で、物事には「多様性」があること、「人もいろいろ」であることに気がつくと、気分が楽になります。

どのようにして「仕事と趣味に使う時間のバランス」をとるかという問題でも、「オンリーワン」の考え方が役立ちます。この問題を解決する、万人に共通の回答はないと思いますが、一つの考え方は、徐々に趣味に使う時間を増やすことだと思います。ただ、そのスピードは人さまざまで良いのではないでしょうか。「オンリーワン」の思想です。前述した年賀状の友人のように「(仕事が忙しくて)趣味の時間が減る一方です」という便りに、「仕事があってうらやましい」とは思わないで、私の場合は、「趣味に時間を使えて幸せだ」と思うことが大事なのです。

第三は、「チャレンジ」です。新しいことにチャレンジすること、言い換えると「日々あらたに」です。
日野原重明さんは「新老人は 
① 新しいことにチャレンジすること、② 愛すること、そして、③ 耐えることが大切だ」と言われました。
「新しいことにチャレンジすること」、いろいろなことに「興味」を持ち続けることが大事なのです。目標を立て、達成したら「ヤッター」と自らお祝いをする。このことにより、達成感・自己充足感が得られます。ただ、挑戦のテンポは、現役時代より「スロー」で良いと思います。
 私の恩師の亡武田豊さん(元新日鉄会長)は、大脳生理学を人事管理に応用された方です。武田豊さんによると、新しいことにチャレンジし「創造力を働かせると、前頭葉の活動が活発になり、やる気を起こす」と言われます(注)。油絵を描いたり、料理したり、どんなことでも創造することは、脳を活性化してやる気を起こします。そして、次の目標にチャレンジしたくなります。ボケ防止にも役立ちます。(注)巻末資料②「莫妄想」(ページ24)を参照下さい。
私の場合は、油絵も描きたいし、ピアノの新しい曲にも挑戦したい。松下幸之助さんのように「日々あらたに」を座右の銘にしています。
第三章 「生き生き」とした第二の人生を送るために
考え方のステップ 
「これからの生き方」を考える上で、前述のようなステップをふむと考えやすいと思います。

「答え A」まず、例として、お金について次のように考えて見ます。
第一のステップは、心配ごと・悩みごと・やりたい事(目標)を整理します。
お金について、あなたの心配ごとが「老後の資金は十分か」と仮定します。アンケートへの回答にあったように、これからの年金がどのようになるのかは、みなさんが心配している大きな問題です。しかし、年金の問題は政治問題であって、あなたの力が及ばない問題(注)ですから、あなたが影響を及ぼせる範囲の問題について考えるようにします。例えば、支出を減らすことは、あなたの決断で可能なことです。退職後も収入がある人はまれでしょうから、支出を抑えることを考える方が現実的です。
(注)「コントロール・モデル」という考え方があり、自分のコントロールできない範囲の事柄については、与件として考えることが大事です。コントロールできる範囲の事柄について集中しなさい、と言われます。
やりたい事(目標)は「特技を生かして小遣いを稼ぐ」と仮定します。

第二のステップは、3つの軸で考え方を整理します。老後の資金を考える場合に、「バランス」の軸では、「収入と支出のバランスをとる」ことを検討すると良いでしょう。資金計画の面では、日常生活に必要な資金、病気・怪我など万一に備える資金(保険など)、旅行など趣味に使う資金の3つくらいに分けて考える。この場合も「バランス」をとることが大事です。心配性で、病気・怪我など万一に備える資金に多く配分し過ぎますと、旅行などの楽しみが減ります。
お金については、「オンリーワン」の軸が最も大事です。「他人と比較しない」ことです。「身の丈の生活水準で満足する」ことで「幸せ」と思うようになると、心安らかになります。「生まれ」のところで述べたように、親の財産を相続したり生まれつき恵まれた人もいます。しかし、他人を見ないで自分の力の範囲で、自分の退職後の資金計画をたてることです。
「チャレンジ」の軸では、「特技を生かして小遣いを稼ぐ」ことを検討すると良いでしょう。再雇用の制度で定年延長されれば別ですが、そうでなければ再就職は至難の業です。あまり再雇用に期待しないで、太極拳とか、英会話とか特技をお持ちの方は、ボランティア活動の一環として「特技を生かして小遣いを稼ぐ」ことは可能です。

第三のステップは、行動計画(注)を立てることです。退職後の「資金計画は、早めに着手する」方が良いと思います。収入面では、年金額を確認し、貯金・金塊など流動性の高いものと、株券など流動性の低いものと仕分けすることも必要です。同時に、支出面では、奥様の協力を得て「みなさん独自の生活水準を見直す」ことです。この見直す作業を奥様と共同ですることは、次に述べる夫婦関係を修復するきっかけとして大変有意義なことです。
「特技を生かして小遣いを稼ぐ」についても、早めに「特技を売り込む」具体的な計画を立てて、少しずつ実行すれば可能なことです。これは、人生を楽しみながら資金面の助けになるので、奥様も歓迎するはずです
(注)これには、「心配ごと」をなくす対策や、「チャレンジ」すること、目標を達成する為の対策の計画も含まれます。
 
以下、健康、夫婦関係、社会とのつながりについても、同じ考え方で整理します。

「答え B」健康については、第一のステップで、健康についての心配ごと・悩みごと・やりたい事(目標)を整理します。
あなたの心配ごとが「健康を維持できるか」と仮定します。日頃から人間ドックで指摘されている健康上心配な点について、早い時期に専門医に相談することが大事です。原因不明の病気から開放されると「不安」がなくなります。第二の人生を健康に過ごすための第一歩です。寝たきりになったらどうしよう、等と心配する前に不安の芽を摘むことです。
健康について、やりたい事(目標)が「新しいスポーツを始める」ことであると仮定します。

第二のステップは、3つの軸で考え方を整理します。ここでは、体と心の「バランス」を例にあげます。健康というと、ジムに通って体力づくりのイメージがあります。確かに、年をとって動けなくなるのは避けたいものです。運動を続けることに、毎日一定の時間をさいて下さい。私の場合、医者からも薦められ、毎日実行できているのは夕食後30分の(速足歩きの)散歩です。よく奥様とご一緒に散歩されている姿に会います。
ここでは、さらに体と頭の訓練のバランスをとることをお勧めします。頭の体操はみなさんに合ったものなら何でも良いと思います。「大人の算数ドリル」や「ぬり絵」「すうどく」などなど。大事なことは、毎日一定の時間を頭の体操にもさき、運動と「バランス」をとって楽しんで続けることです。
「オンリーワン」「チャレンジ」の軸では、他の人がやっているからではなく、みなさんがやりたい新しい運動を始めましょう。例えば、奥様と社交ダンスを始められるのが理想です。社交ダンスは運動量も多いし、音楽を楽しみながら、奥様との会話も出来ます。特に、(若い)女性に教えてもらえれば心が「ときめき」ます。これからは「ときめき」「感動」を大切にすることが大事です。2006年12月17日NHKの「認知症・・・そのとき、あなたは」で「社交ダンス」は異性の手を堂々と握れるので、認知症予防にも良い、と言っていました。

第三のステップは、行動計画を立てます。日課の計画の中に、必ず健康維持・増進のための時間(例えば、「毎日30分散歩する」)を入れることです。上手な時間の使い方の一つに、「自分が大事と考えることに、優先的に時間をさく。そのためには、日課に入れたその時間は『既に使われている』と考えて(これを「ブロック」する、と言います)、絶対に変更しない」という原則があります。社交ダンスを始められるのであれば、早速、区報などから社交ダンスの講習会の時間を予定に入れて、その時間帯には他の予定を入れないようにしましょう。

「答え C」次に、夫婦関係について。第一のステップとして、心配ごと・悩みごと・やりたい事(目標)を整理します。
あなたの心配ごとが「濡れ落ち葉にならないか」と仮定します。定年離婚の原因の多くは、主人在宅症候群だと言われています。今までは、朝ご主人を会社に送り出せば、一日中自由に過ごせた奥様が、退職後は主人が家に居るといろいろと遠慮するようです。友達と電話するのにも気を使うようで、例えば、「主人が出かけていない月曜日に電話して」という奥様が多いと聞きました。昼ご飯も、今までは余り物で済ませていたのが、献立を考えなければなりません。結果「図書館にでも行って、一日過ごしてきて下さい」ということになるのです。
会話がない、というのも奥様の不満の一つようです。みなさんにとって悩みごとでなくても、奥様から見ての悩みごとであれば、早い時期にそのことに気づいて、その悩みごとをなくす対策を立てることが大事です。「相手の立場に立って考える」という人間関係を良くする黄金律は、夫婦関係でも一番大事なことです。 
多くの奥様は、退職後夫婦で旅行に行きたいようです。子供を育てるのに忙しかったので、夫婦でゆっくり温泉に行きたいという奥様の声を聞きます。
こうした心配ごと・悩みごとを解消するためには、昔のように仲良くしたい、共通の時間を大事にしたい、ということを目標にすることです。こうした目標は、夫婦関係の修復に役立つと思います。
 
第二のステップは、3つの軸で考え方を整理します。
「バランス」をとる、という軸では、奥様と一緒に過ごす時間と、自分だけの時間とのバランスをとると良いでしょう。夫婦関係の修復をはかろうとして、退職後、急に奥様について歩くご主人がいます。奥様からすると、放っておかれるのも

不満ですが、ベタベタくっついてこられるのも迷惑なのです。濡れ落ち葉と言われないためには、自分の時間をしっかり取って、自分のことをすることが大事です。そうすれば、奥様はサラーリ-マン時代と同じように、奥様の時間を使えるのです。
「オンリーワン」と「チャレンジ」の軸では、ここでも他の人と関係なく、自分たち夫婦にとって何が一番良い過ごし方かを考えることです。例えば、年に数回は夫婦で温泉に行く、という目標を立てるのも非常に良いことだと思います。ご夫婦で海外旅行を楽しんでおられる先輩はたくさんおります。
第三のステップは、行動計画を立てることです。例えば、年に数回の温泉旅行と月に1~2回の外食、コンサート・お芝居見物などの組み合わせで、奥様と一緒に過ごす時間を優先的にとります。あとはそれぞれ自分の時間を大事にする生活を計画されてはいかがでしょうか。ある先輩は、「退職後は、朝出かけて夕方まで帰らない。ただし、サラーリ-マン時代と違って、夕食は一緒に食べる。男は外に出てあげるのが礼儀だよ」と言っていました。

「答え D」特定は出来ないが、「なんとなく不安」という方も多いと思います。或いは、不安な事が多すぎて整理し切れない方もおられるでしょう。
前述したように、不安でないことは「幸せ」の重要な条件です。不安を取り除くには、何が不安なのかを整理することが大事です。そして、その不安があなたにとって、どのくらい重大なことなのか(重要度)と、どのくらいさし迫っているのか(緊急度)を整理することです。
整理するステップは、次のとおりです。まず、日頃気になっている不安なことをリストアップします。ここでは、キーワードだけでよいので、何でもすべてリストアップします。一週間くらいかけて思いついた時にメモします。メモはポケットノート一冊にまとめて整理します。メモ用紙などあちこちに書かないことです。
次に、優先順位をつけます。この場合、縦に優先順位の序列をつけます。横に並べて同じ優先順位としないように、「どちらかが、より重要だ」と判断します。そうすることで「あれもこれも」と焦点がぼけるのを防ぎます。重要度と緊急度とのマトリックスで整理すると優先順位をつけやすくなります。

次に、「社会とのつながり」について考えます。
「答え E」あなたの心配ごとが「社会とのつながりがなくなる」と仮定し、「やりたい事」が「社会貢献したい」と仮定します。
第一のステップで、やりたい事(目標)を整理します。
会社のOB会があったり、趣味(例えば、ゴルフ)の会で、退職後も、会社の人との付き合いが続く方も多いかと思います。しかし、サラーリ-マンは会社で過ごす時間が人生の大半を占めるので、近所の人、地域の人々と知り合う機会が殆どありません。
 会社以外の付き合いがなかった方は、退職後は家の外に出かける機会が急に減ります。自宅でTVばかり見てゴロゴロしていると、「濡れ落ち葉に」と言われます。いまさら、隣近所の人と付き合うと言っても、共通な話題もなく、疎遠になりがちです。奥様たちは井戸端会議で顔なじみですが、ご主人は仲間に入れません。
 退職後は、「社会貢献」などで、何らかの社会との関わり合いを持ちたいと願うのが自然だと思います。

第二のステップは、3つの軸で考え方を整理します。「バランス」の軸では、社会貢献に費やす時間と、趣味や家庭に使う時間とのバランスをとることが大事です。ボランティア活動で、サラーリ-マン時代と同じように外に出ていますと、退職後は夫婦でゆっくりしたいという奥様の願いがかないません。反面、一日中家出ゴロゴロでは「濡れ落ち葉に」になります。
程度問題ですが、バランスのとれた「すれ違い夫婦」の状態が理想のようです。私の人生の先輩は介護のボランティア活動をしておられますが、奥様は月曜から金曜までカラオケ三昧で、夫婦で一緒に食事をするのは週末くらいだそうです。時々顔を合わせるほうが新鮮だと言われています。
「オンリーワン」、「チャレンジ」の軸では、自分の好きな趣味を続けたり、サラーリ-マン時代に時間がなくて出来なかった、新しい趣味に「チャレンジ」して仲間を増やすのが良いでしょう。時間とお金がかかりますが、第二の人生を楽しむ投資と考えることです。

第三のステップは、行動計画を立てることです。ボランティア活動や趣味の会に、積極的に出かける計画をたてます。会社と関係のない、例えば、趣味の会、同窓会などは、利害関係なく退職後も付き合える大事な仲間です。そうした仲間の会合には、堺屋太一の言う「好縁社会」、「好縁仲間」として、忙しいサラーリ-マン現役時代からも、できるだけ顔を出しておくことが大事です。

「答え F」次に、「あなたのやりたい事」が「わからない」と仮定します。

好きなこととは、「いつ迄やっていても飽きないこと」といわれます。おもしろい小説を深夜まで、時間の経つのを忘れて読むことはありませんか。NHKのTVで、ペットのトリマーをしている若い女性に、「あなたは何故トリマーの仕事を選んだのですか?」と質問しました。「小学校のころの写真に、犬を抱いている写真がありました。その写真の自分が、一番楽しそうな顔をしていました。だから自分は犬の世話をすることが好きなのだ、ということに気がついたのです」と答えていました。
企業のキャリア・カウンセリングの場面では、「やりたい事がわからない」場合は、「孤島に行って、お金と時間がたっぷりあったら、あなたは何をしたいですか?」という質問をします。みなさんも、同じような質問に自分で答えてみて下さい。すると、自分の好きなこと、やりたい事が見えてくるのではないでしょうか。
サラーリ-マン時代に、楽しい思い出になるような仕事をされたとすれば、その仕事に近い活動をすることが、退職後のあなたにとって「幸せ」なことだと思います。例えば、社員教育を担当されていたとすれば、退職後にあなたの得意な分野を市民講座で教えるのが楽しいでしょう。

第四章 行動計画を立てるにあたって:「2つ以上の解決策を検討しましたか?」
行動計画を立てるにあたっては、「問題解決の方法」という手法を使うと、「2つ以上の解決策」を検討し、より良い行動計画を立てられます。
例えば、「夫婦関係が心配」というテーマについて、次のようなステップをふみます。
1)最初に、心配ごとを文章で書きます。この例では、「退職後『濡れ落ち葉にならないか』と心配している」と書きます。
2)次に、どういう状態になれば解決したといえるのか。解決したことを示す要素(成功要因)を明確にします。また、その中でどの要素が最も重要かを決めます。この例では、「昔のように仲良くしている。一緒にいる時間が楽しい。会話がはずむ。一緒に旅行する」など、いろいろあると思います。その中で、「毎日笑顔で話している」状態が最も大事だとします。
3)ブレーンストーミングやピラミッド原則で選択肢を創出します。例えば、「話し合いの時間をとる」「一緒に旅行する」「料理を勉強して、自分で料理を作る」などなど。
4)実行案を選び、行動計画を立てます。例えば、「明日から奥様の話を、時間をかけてじっくり聞いてあげる」という行動計画を立てます。
 
以上のように「問題解決の方法」を使って整理すると、いろいろなアイデアが浮かんだ時に整理しやすいし、より良い解決策が得られると思います。
(おわりに)

 いろいろな経歴・考え方をお持ちの、サラーリ-マンすべての方に満足いただける回答は用意出来ませんでした。ただ、考え方・整理の仕方について理解いただき、みなさんの場合にあてはめていただければ幸いです。
 私自身も、これを書きながら「自分の場合はどうだろうか」とシミュレーションしていました。いろいろアイデアが浮かぶことが大事ですし、そうしたアイデアを整理することで、また新しいアイデアが浮かぶものです。
 現在サラーリ-マンの方は、ゆっくり第二の人生のことを考える時間がないかも知れません。しかし、時間管理の教訓では、「第二の人生を考えること」は高い優先順位として、しっかり時間を予約することが大事です。早い時期に、例えば、一日旅に出るくらいのつもりで、「考える時間」「計画する時間」を予定表に入れることです。その時間に、以上述べた考え方・コツをみなさんの場合に当てはめてみて下さい。

 私自身は、昨年2006年7月から10月までの100日間、ピースボートで世界一周の船旅をしてきました。その旅行の間に、「第二の人生を楽しむコツ」を考えました。船旅の日記は、「団塊世代の100日間世界一周旅行」(仮題)で、文芸社から7月に出版される予定です。こちらもご参考にされますよう、ご紹介いたします。

以上  
次回 5月中旬 予定

2007年4月 9日 (月)

(遺跡の旅)10月5日~9日

(遺跡の旅)10月5日~9日
エジプト・ギリシャ・イタリア・メキシコでは、現地ガイドからそれぞれの遺跡にまつわる神話はじめ歴史のおさらいがあった。古代文明はじめ歴史を勉強し直すきっかけを与えられた点で良かった
特にメキシコでは、Tさんという日本人からは、遺跡のことから世界の歴史にいたるまで、詳しく聞く機会があって大変勉強になった。彼の持論はメソアメリカ地域(注1)、南米にもモンゴロイド系人種がアジアから渡ってきた(注2)ので、いろいろな面で、中国・日本と共通するものがあるという。
(注1)メソアメリカ地域とは現在のメキシコ北部からホンジュラス、エルサルバドルあたりまでのことを指す。南米アンデス地域の古代文明圏と同じように紀元前から数多くの古代文明が栄えた地域だという。
(注2)北からは、氷河時代にベーリング海峡(150メートルの浅い箇所があるという)が干上がっていて民族の移動が可能であった。南回りは海伝いに移動したという説がある。

例えば、ユカタン半島に住む先住民の子孫は体型が「ずんぐり、むっくり」で日本人に似ていると。メキシコ・シティの国立人類学博物館で見た「お香の道具」に相当するものは日本の香炉と考え方は一緒ですと説明され納得した。
また、太陽神はやおよろずの神を信仰する自然崇拝の考え方で、日本と同じである。地下・地上という二元論も東洋の陰と陽の考えと同じである。太陽は地下にもぐり(太陽が地球の周りを回り東から昇り西に沈むように)朝になるとまた地上に現れると信じられていた。
ヒスイが命をあらわす緑色であることは、中国でもメキシコでも同じ。ラストエンペラーで最後のシーンで死んだ母親にヒスイを口に含ませていたという。

テオティワカン(神々の都)はメキシコ・シティーの北に50km程行ったところにある、20平方キロメートルの広大な古代都市遺跡である。紀元前2世紀頃に出現し、7世紀半ばに突然と姿を消したそうだ。何故都市が滅んだのか、いまだに謎は解けておらず、真相は不明である。
数学・天文学など優れた学問を身につけていた人たちはどこへ行ったのか?なぜそうした進んだ文明が滅びたのか?現代文明は滅びないという保証はどこにもない訳だから、万が一滅びた場合には後世の人はどう分析するのだろうか?

太陽のピラミッドの頂上まで、248段あるといわれる階段を、数えながら一気に登る。手すりはあるが、かなり急(傾斜40度くらい)なので降りるときがたいへんだった。
頂上から広場を見下す。祭壇にいけにえをささげる当時の儀式の光景を想像する。遥か15世紀も前に人口20万人程度の大都市があったのか、と感慨にふける。遺跡のガイドブックにはそうした儀式を描いた想像画が描かれている。現実の光景は、観光客がぱらぱら見えるだけ。10月末はオフシーズンなのか。

太陽のピラミッドは、エジプトのクフ王とカフラー王のピラミッドに次ぐ、世界で3番目に高いピラミッドで、その大きさは一辺が220m、高さが65mもある。このピラミッドの頂上には神殿が建てられ、宗教儀礼が行われたと言われている。現在、神殿はない。

パレンケはマヤ古典期の代表的な遺跡のひとつ。4~10世紀に栄えた都市。「この遺跡の「碑文神殿」と呼ばれるピラミッドの下から、マヤで初めて王墓が見つかったということで有名」とガイドブックには書いてある。
しかし、ガイドさんは例外だと言っていた。どの程度例外なのか専門的なことは分からない。ただ、メキシコ・シティの国立人類学博物館で王墓の模型を見ることができた。エジプトの玄室のようなものだった。
この王墓に葬られていたのは、パレンケの黄金時代を気づいたパカル王と言われている。パカル王は615年にわずか12歳で即位した。日本で言うなら大化の改新前後に頑張っていたことになる。

ウシュマルは7世紀の初頭に栄えた。チチェン・イツァーより小規模で、ピラミッドは丸みを帯びている。南北800メートル、東西500メートルのジャングルの中に「魔法使いのピラミッド」や「尼僧院」、「総督の館」、「大ピラミッド」などの数々の遺跡が散在している。

遺跡に行く途中のメリダの街に、野口英世が黄熱病の研究に取り組んだ「オーラン病院」があった。野口英世の功績は、今でもメキシコ住民に高く評価されているという。
没後、日本の有志の方が病院の前庭に銅像を建立し偉業を讃えている。みんな鉄格子のフェンスのわずかな間からいっせいにシャッターを切る。

ガイドが自己紹介の中で「自分が30年メキシコに住んでいてうれしいのは、日本人がメキシコ人に尊敬されていることです。今でも日本人というだけで尊敬の眼で見られるのは、日本の経済力・技術力と先輩たちの功績のお陰と感謝しています。」言っていた。
きっと野口英世も当地で尊敬されていたのだろう。私も日本人として誇りにできるしうれしい話だ。

チチェン・イツァーとは、マヤ語で「泉のほとりのイツァー人」という意味である。ユカタン半島最大のセノート(聖なる泉)を中心にして栄えたことからこう呼ばれている。
旅行案内書には、この泉にいけにえを投げ入れた、と説明されている。しかし、ガイドによると実際に人を投げ入れたわけではないという。旅行案内書だけを見ていると信じてしまうところだった。

戦士の神殿の上にあるというチャック・モールは、かなり遠くに離れないと見えない。時間があればこの上にも登れるのに残念。今回の遺跡の旅は本でいえば「目次」をさらっと見るだけの旅になった。それでもこんなにいっぱいまとめて見る機会は他には考えられない。

次回4月末

第七章 メキシコ

第七章 メキシコ
メキシコは国土の面積が日本の5.3倍もあるのに、GNPは80兆円と日本の2割にも満たない。しかし資源は豊富で政治も最近は安定しているので、ラテンアメリカ諸国の中では住み良い国らしい。
資源の一つに原油がある。ユカタン半島の北側に海底油田があって世界の8位の生産量である。オペックに入っていない重要な国である。
しかしガソリンの値段は1リットル約70円と産油国としては高い。理由は(サラリーマン以外の)高額所得者が税金を払わないので、ガソリン税を通じて高額所得者から税金を徴収する、という考え方だそうだ。

 塩も資源のひとつ。メキシコの北バハ・カリフォルニアの大規模な塩田から大きなタンカーで日本に輸出されている。用途は化学工業用である。
さらに規模を拡張する計画があったが、ここは鯨が子供を産み育てる場所になっていることから、環境保護団体の強い反対が功を奏して取り止めなったという。地球保護も根付いてきた感じがする。

 現地ガイドのTさんはメキシコ在住30年、ガイド暦10年のベテラン。彼はメキシコの資源と日本の頭脳を組み合わせれば大きな発展が期待できると考えた時期があった、という。
 しかし、メキシコが自然に恵まれており、バナナ、パパイヤなどの果物、魚など食べるに困らない環境にある為、日本人がメキシコに住みついたら日本にいる時のように働かないのではないか。だからうまくいくとは限らない、と考え始めるようになったとのこと。

 例えば、Tさんのお父さんが鳥取からメキシコに訪れた際に釣りに連れて行って「入れ食い」であまりに簡単に魚が釣れるので、さすがに釣り好きのお父さんも5分もすると「つまらないから帰ろう」と言ったとか。

10月5日:アカプルコ
アカプルコは年間300万人程の観光客が訪れる、メキシコを代表するビーチ・リゾート。エルヴィス・プレスリーが主演した映画「アカプルコの海」(1963)が有名である。仙台市の国際姉妹都市でもある。

アカプルコはメキシコ・シティの保養地となっている。週末になるとメキシコ・シティのスモッグを避けて別荘に大勢の人が訪れる。
海抜2、240メートルの高地にあるメキシコ・シティは涼しい、アカプルコは北緯19度の海岸だから暑いと思うのだが。スモッグを避けたいのだろう。

 寄港地のアカプルコからバスでメキシコ・シティに向う。街にはカブトムシ(フォルクスワーゲンの愛称)が目につく。燃費もよく小型で小回りがきくからタクシーには向いている。 現在はメキシコでの生産は中止されているが人気の車だという。
日本のサニーは人気があり、現地名で「つる一号、二号、にんじゃ、さむらい」等と名前が変わってきた。「こうせいのう(高性能)」という面白い名前もあったとか。

 支倉常長の銅像がアカプルコの大通りの分離帯に立っている。ガイドによると、支倉常長は伊達正宗の命を受けて、カトリック教布教の許可をローマ教皇から得るためにメキシコ経由イタリアへ向ったという。
当時徳川幕府のキリシタン弾圧の時代だったため、許可は得られずこの計画は失敗に終わった。しかし支倉常長は後に仙台市の名誉市民になっているという。

 メキシコ原産のものがいくつもある。さつまいもはメキシコからフィリピンにわたり、そこから薩摩に渡って「さつまいも」となった。
とうもろこしはメキシコ人の主食「トルティージャ」の原料になる。実を水に一晩漬けておき、石うすで粉(ギョーザの皮のようなもの)にして焼く。その上に肉や野菜の具をのせて食べるのがタコスだ。
 かぼちゃはスーパーでメキシコ産という表示をみかける。アボガド、(アップル)マンゴー、ヅッキ-ニと数えるときりがない。中でも重要なのはカカオである。

 カカオの実は硬くて腐らないし運びやすいので、長い間お金の代わりになっていた。税金をカカオの実で納めていたという。メキシコ・シティの国立博物館にも他の貨幣と並んで陳列されていた。

しかしチョコレートにするにはミルクが必要で、メキシコにはミルクを出す動物(牛、ヤギ、羊、馬など)がいなかった。だからチョコレートはスペインなどの貴族だけが食べる高級食品として製造され、メキシコ人の口には入らなかった。
カカオの実は普通の木のように、枝の先につくのでなく幹につく。収穫するには竹ざお状のもので叩き落すのだそうだ。

 韓国産のまったけはおなじみだが、メキシコもまったけを日本に輸出しているという。ただ、最初にまったけを日本に輸出しようとした商社マンが「出来るだけ大きいのがよい」とだけ現地人に説明しため、大きすぎるのを集められて困ったという。もちろんメキシコ人にまったけを食べる習慣はない。

2007年3月30日 (金)

10月2日~3日:グアテマラ(プエルトケツアル)

10月2日~3日:グアテマラ(プエルトケツアル)
グアテマラは、勝手に私だけの安息日とした。次のオプショナルツアー「メキシコ7日間」がこの旅行一番のハイライトなので、体調を万全にしておきたいと思った。そこで予約していたグアテマラでのツアーをキャンセルして休むことにした。
ところが、あとで聞いてみると、マヤの遺跡「ティカル」がすごく良かったという。「シマッター」と思ったのは後の祭り。事前によく調べれば、ティカルがマヤ最大の遺跡という。ツアーの選択は難しいものだ。

40度くらいの猛暑の中、1時間もかかる街には出ないで、観光客相手の市場で買い物をする。といっても、パナマと同じで、岸壁に隣接してみやげ物屋が10軒くらい並んでいる。グアテマラ特有のきれいな原色のテーブルクロスを大小10数枚買う。
珍しい油絵のような絵を見つけた。特殊なラッカーのような塗料で仕上げてある。45ドルを35ドルに値切ったが、どうしても40ドルという。みのもんたのクイズ番組ではないが「これがファイナル・アンサー?」と念をおしたら、売り子は画家に携帯で相談するという。画家から委託されて売っているので、任された値段以下では売れないのだろうと思った。結局40ドルで妥協する。

船内でのんびりしたのは、久しぶりだ。食堂も食べる人が少ない。みんなツアーに出払っている感じ。普段表情を顔に出さないウェイターも、今日は笑顔だ。いそがしいストレスがないからだろう。
 ターミナルで買い物を済ませ帰船すると、部屋の掃除をしてくれるTさんが、ハワイのTシャツを着て出かけるところに出くわした。普段のクルーとしての制服姿と違い、いきいきとしていたのが印象的だった。

20歳代の男性とテーブルが一緒になった。
「どこまで出かけたの?」
「街まで1時間歩いて行ってきました。タクシーもあるけど高いし、歩くといろいろな人に会えるので楽しいです」
「昼はどうしたの」
「地元の食堂で、といっても小屋みたいなところでしたが、ハンバーガーのようなものを食べました。ついでに床屋があったので、散髪もしてきました。3ドルでした」
「どんな髪型にされるか心配ではなかった?」
「写真が飾ってあって、どれにする?と」
「なるほど」
「泳げるとことを見つけたので、明日は泳いできます」
若い人の行動力には脱帽。この若者は、120%旅を楽しんでいる。こういう話を聞くのも、また楽しい、

グアテマラも貧しい国のようだ。外務省のホームページによると「平成16年度、水道普及率は40%台と言われている。グアテマラ政府は、貧困層が多く居住する地方部の給水改善を目的とした地下水開発計画を策定し、平成16年度日本政府に対し、同計画の実施に必要な無償資金協力(5.37億円)を要請した」とある。

10月4日:創作粘土
 創作粘土の後半のクラスに参加した。特殊な粘土で、乾くと落としてもこわれない位の強度があるという。粘土の種類・メーカーの名前を控え帰ってから作れるといい。孫との対話の材料が増えた。
作品は、ブローチにチャレンジした。ただ、乾燥させるのに一週間はかかるというので、メキシコに行っている間に、先生に作ってもらうようお願いした。「文化祭」にあたる「収穫祭」というのが、旅の後半あるので展示してもらえると記念になる。

アマンダさんというアメリカ人と知りあい、異文化コミュニケーションについて共通の関心があることが分かった。アマンダさんは、GETの英語の先生。高橋尚子さんが練習している、コロラドのボーダーに住んでいて、日本人のビジネスマンにも英語を教えているという。
「男女のコミュニケーションの差」という題で自主企画をするので、是非出てくれという。2~3人に声をかけて話を聞いた。彼女の話によると、コミュニケーションをとるときに「女性は人間関係を大事にし、男性は仕事を優先する」という。この分野についての専門書を紹介してもらった。アマゾンなら手に入るだろう。

---次回は4月中旬掲載予定です・・・

第六章 ジャマイカからグアテマラまで・・・パナマ運河

第六章 ジャマイカからグアテマラまで・・・パナマ運河
9月25日:ジャマイカ
 トパーズ号が着岸したところから150メートルくらいのところに、シュノーケリングに行く双胴船(タカマラン)が待っていた。総勢100名近くが2船に分かれて乗船。シュノーケリングのポイントまで50分。屋根がついていなかったので、南国の真夏の強い日差しがきつかった。帆の陰を求めて移動。
船長が舵を取っているそばに、ほら貝があったので皆で吹いてみる。「スースー」という音しか出ない。見かねた黒光りした船長が吹くと、ハワイのディナーショーの前に合図として吹くような「ブオー」というたくましい音色となるから不思議だ。

 途中イルカが船を追うように泳いでくる。数頭はいた。あわててDVDとデジカメを取り出す。揺れるのでフラフラして良い写真が取れない。DVDをトパーズ号に戻って編集したら、ほんの数秒間だけイルカが写っていた。あの状態では精一杯。よしとしよう。

紺碧色の海でシュノーケリングが出来て大満足。熱帯魚のような、色鮮やかな魚に目をこらす。日焼けも気にせず海に浮かんでのんびり過ごす。
ところが「こんな海はたいしたことないわ。OOの方が珊瑚もきれいだった」という声が聞こえてくる。せっかく人が楽しんでいるのに。
ポンペイの博物館でも「OOの美術品と比べたら、たいしたことはないわ」という参加者がいた。こうした発言をする人はどこにもいるものだ。たとえそう思っても口にしないことが礼儀。「他人のふり見て我がふり直せ」の諺どおり、自戒の念をもって聞いていた。

9月28日~29日:パナマ運河
パナマ運河の大西洋側の入り口は、コロンという都市。その名前のいわれは、アメリカ大陸を発見したクリストファー・コロンブスにあるという(注)。世界で第二の自由貿易の都市だそうだ。
完成に至るまでには、紆余曲折があったようだ。フランスが最初に建設に挑戦したが失敗。その原因は黄熱病・マラリア対策を誤ったという。フランス政府はアリがこれらの病気の媒体と思い込み病院に水をまいたが当然効果はなかった。建設の犠牲者約30,000人の大半は病死だと言われている。後にアメリカが引き継いで、正式に開通したのは1914年だそうだ。
(注)スペインの方から見れば発見だが、ラテンアメリカから見ると侵略だという見方があり、メキシコやコロンビアから参加した通訳の人は、侵略の側面を強調していた。

パナマ運河を通過する船の数は1.2万隻弱、貨物で年間2.5億トン。1日30隻の計算になる。通行料は年間7億ドル弱というから、アメリカが手放したくなかったのはわかる。スエズ戦争も、スエズ運河の権益をめぐる戦いだった。

この運河の特徴は、閘門(こうもん)システムという特殊な仕掛けで、海抜26メートルの高さの山(実際にはガトゥン湖という湖)を、船が越えるところにある。閘門チェンバーという巾33.5メートル、長さ304.8メートルある巨大な鉄の箱に、通過する船舶を乗せて、その箱の中の水位を調節して箱から箱へと移していく。詳しくは、運河庁のウェブサイト(注)で見られるからすごい時代だ。
この巾が通行可能な船の大きさを制限している。最大規模は、巾32.3メートル、喫水(水面より下の船体の深さ)12メートル、パーズ号の巾は27メートル、全長94.1メートルに規制されている。これが、いわゆるパナマックス・サイズといわれる。
(注)http://www.pancanal.com

運河を通過するのに、8~12時間かかるが、待機時間を含めると24時間かかっている。過去に最速で通過したのは、アメリカ海軍のホーバークラフトが1979年に2時間41分で通過したという。さすが海軍である。優先的に通したのだろう。

パナマの治安は非常に悪いらしく、政府は観光客のために、客船ターミナルにみやげ物屋とパナマの踊りを見せる、観光客専用スペースを整備している。不安全な街から隔離して、みやげ物を買える場所を作ったのである。
観光客から見ると大変便利で、スリなどの心配をしないで買い物が出来る。ただ、普通の人の生活を自分の眼で見たい、という観光客の期待にはそえていない。土着民が上半身裸、ボディ・ペインティング状態で、みやげ物屋に立っている姿は痛々しかった。稼ぎになるので連れてこられた、という雰囲気で彼らの目に生気が感じられなかった。 

パナマ運河では、ソベラニア公園へのエコツアーに参加した。ソベラニア公園は、パナマ運河のほぼ中央、コロンからバスで1.5時間の所に位置する熱帯雨林である。
我々がバスで船に帰ろうとした時に、しのをつく熱帯雨林特有の強いシャワーに見舞われた。我々はバスの中だったので幸い助かったが、30分くらい遅れてスタートした別のグループは、ずぶぬれだったに違いない。しかし、こんなシャワーもここでないと経験できない。

ツアーは、葉切りアリやトランペット・ツリーなど、他では見られないものを見られた。ただ、もう少しジャングル風の所かと期待していたが、パナマ運河建設当時に、工事用の道路として使用していた道を散策するにとどまった。
参加者の年齢層にも巾があるので仕方ないことと割り切る。

トランペット・ツリーと言うのは、通称「ナマケモノの木」。その理由は、この木の樹液が薬に使われ、その成分に麻薬的な効果がある。だからその薬を常用すると、ナマケモノのようになるから。
幹は空洞になっていて、たたくと硬い音色がトランペットのような音色がする。みんなで実際にたたいてみて納得する。参加者はみんな好奇心が旺盛だ。


2007年3月14日 (水)

9月19日:洋上運動会 

9月19日:洋上運動会 
洋上運動会は普通の運動会と違って、赤道直下のやけるような日差しの下で行われた。乗船客の6割近い約500人が参加した。最近は職場の運動会がなくなったので、みんな懐かしい思いで参加したようだ。
狭いデッキを走り回るのは、怪我をする危険がいっぱいだ。大きい縄跳びの練習で骨折した人がいる。それでも、日ごろの運動不足解消とばかり、みんな張り切っている。私も何事も参加することに意義がある、と50年ぶりに綱引きの足をひっぱる。参加すれば楽しい。

9月20日:運動会のゴミはリサイクルします
「回収にご協力下さい。ハチマキ、ペットボトルをピースボート・センター前にお持ち下さい」という。平和と同時にみんなの関心が高いのは、環境問題だ。自主企画に「エコ・チーム」というグループがあって、如何に船内でゴミを出さないか真剣に考えている。
売店には「環境に配慮して、商品を包んだり、袋は出しません」という掲示がある。900人も乗っていると、ゴミの量もはんぱではない。一人ひとりが気をつけなければいけない。船内でどのように処理しているのか興味のあるところだ。

「午後茶」の時間には、マイカップを持参で集まる。はしを持参している人もいた。アジア、中南米の国では、これらが役に立つという。ツアーでレストランによっては、衛生管理が不十分のところもある。自分の身は自分で守ろう、か。
私もはしを持参したが、使わなかった。雑菌に慣れているから大丈夫だったのだろう。マイカップも気にはなりながら、テーブルに用意されているコーヒーカップを使ってしまった。

9月21日:「70才が一人でフェズの迷路に挑戦した話」
 70歳のFさんは、背の高いがっしりした体格だ。バイキングの朝食の皿は山盛りで、周囲の人の目をみはらせる。「朝しっかり食べないとね」と、70歳には見えない。
 私が新日鉄のニューヨーク事務所に駐在していたころ、亡くなられた永野重雄さん(当時70歳くらい)がニューヨークに来られた。所員との会食の際、隣の奥様から制止されても箸がすすんでいたのを思い出す。元気な方は健啖家だ。

 Fさんは旅なれていて「地球の歩き方」の情報を土地の言葉を2~3メモしながら旅行するという。カサブランカからフェズまでの列車は、一日に一本だから早朝船を飛び出す。旧市街の案内人やホテルの手配も、現地についてから一人でやるからすごい。

 「いままで危険な目にあわなかったですか」という質問に「事前の調査はしっかりやります。それに、金目のものは身につけないこと、カメラは親からもらって二眼レフのみとする」と余裕の回答。

9月22日:「日の出とともに日食を見よう」
 日の出の部分日食を見られるのは珍しい。前日の船内新聞の記事を見落とし、いつもの朝食をとっていると、みんな一斉にデッキでカメラを構えている。ハッと気がついたときには、朝日が昇りかけていて船室にカメラをとりに帰る時間がない。
 フェズでのFさんではないが、親からもらったカメラに部分日食を収めた。しかし、これは再生がきかない。天文学に進みたかった長男の顔が目に浮かんだ。「そんな機会をのがすとは・・・」という声も聞こえてくる。
 翌朝の船内新聞に「日食の写真をとられた方、データを貸して下さい」という伝言を載せてもらう。偶然、私と同じキャノンのデジカメを持っている人を見つけ、PCに移させてもらう。

9月24日:文化祭
 文化祭は、自主企画の成果を発表する良い機会である。船内新聞の1ページいっぱいに催し物が載っている。企画名の中には、太極拳、空手、ダンス、ウクレレ、写真展、絵手紙、お茶会、写経、折り紙・・・とあらゆるものがある。
私も健康講座の「総集編」をすることにした。シリーズ6回分をPCにまとめ、プロジェクターを借りてプレゼンテーションする。中味が違うだけで、仕事でやっていることと似たような作業なので楽しい。

 健康講座の「総集編」は1時間では足りないくらいだった。生来こんなおしゃべりではなかったのだが、人事の仕事を長年やっているうちに、変わったのかも知れない。
母親が聞いたらびっくりするだろう。いつも母親に「あんたは話し方が下手だ」といつも言われていた。確かに、今でも自分で「まわりくどい表現」をすることがある。家族からは「主語がない」と言われている。

「創作粘土教室」という自主企画があった。私とよく話をするMさんもブローチを出品している。粘土とは思えない光沢と重量感にびっくり。主催者に「すばらしいですね。二回目もされるのでしょう?」ときくと「粘土を乾かすのに時間がかかるので、後半は出来ないかもしれません」との答え。是非やってみたいものだ。
絵手紙も展示されている。たしかピアノ教室の人が、絵手紙をしていたはずだ。これも後半チャレンジしてみよう。こうして他のグループの作品を見ながら、旅の後半は何をしようかと考える。
---次回は4月初め掲載予定です・・・

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